さて、竹内まりやのプラスティックラブを聞きながら
明日から寒くなるらしい。
本当か?いやもう10月も後半だ、そりゃそうだろう。
いつのまにか10月ってこんな感じだったっけ?っておもう。
AmazonPで「見える子ちゃん」という映画を観た。
これ面白い。
すごく、考えられているなぁ。ストーリーが面白い。
僕自身は「見える」タイプでも「感じる」タイプでもないのだけれど、そういうのができる
って人については興味はあるんだ。
最近、YouTubeでそういう系の動画とか見ていると面白いよねぇ。
シークエンスはやともさんとかね、人のオーラが見えるとか、死んだ人が見えるとか
すごいなぁっていうか。。。
オーラとかって、見えないけど、感じることはあるよね。
例えば芸能人とかね、本物見たら違うじゃん?
一般の人もね、その人から発せられる言葉や仕草、容姿をトータルとして
感じる何かってあると思う。それが、多分オーラだと思うんだけどね、
何しろ可視化できないんで、僕たちは。
言葉と言葉のコミュニケーションで限界はあるが、
それ以外の情報をもったうえでコミュニケーションできるっていうのは、
強みに出来そうな気がする、なんてお気楽なことを言えるのは所詮は僕が
そういった力を持っていないからですけどね。
そういえば、もう何十年も同じ会社にいると、
人間関係が固定化されるよね。
僕は、いろんな外部の人と会ったり、教えを請うたり
そういうのがあるから、多分新しい考え方とか気づきとか、あるんだと思おうんだけど、それを中のメンバーに力説しても通じないんだよね。
で、役割に求めるもの、キャラは無視してどんどん構造の中で役割が固定化していく。よくも悪くも。(良いところもあるんだよ)
ふと、思った。腕時計を断捨離するみたいに人間関係も会社も断捨離できないものか?と。
不満があるとして、それを変えることができるのは自分だ。
で、あと数年、ここでイケるのか?と問うてみたとき
どうも違う、イメージがつかない。
そうか、しょうがない、人間関係も会社も断捨離だ。それは僕が決めたことだ。
誰かに相談したこともなく、単にそう決めただけ。
自分の目の前の風景は自分しか変えることはできないのだから。
誰かに変えてもうらう、とか準備してもらうとかありえないから。
全く新しいところに飛び込む。
それって勇気必要?
いや
馬鹿になれ!(byアントニオ猪木)
もともと馬鹿ですけどね。
ただ、アップデートやなぁって思う。新しいこと 億劫がらずに楽しもうと思う。
日常は、静かに語りかけてくる。気づく者にだけ、次の扉の在りかを。
この一年、僕の周りで起きていたことは、今思えばすべて象徴だったのかもしれない。
何気なく開いたYouTubeで、ミキティーの語りに引き込まれ、庄司智春さんに妙な共感を覚える。
なぜかタロット占いやマインドセットの動画が次々とおすすめに現れる。 まるで僕の心の変化を、アルゴリズムが先回りして察知しているような感覚。 どこかで「てんびん座」に食いついたことを、知られてしまったのかもしれない(笑)。
でも、それはそれでいい。 今の僕は、自分にとって“良いこと”だけを受け入れていくフェーズにいる。 無理に否定することも、壊すこともない。 橋を渡る前に、叩いて壊すようなことはしたくない。 まずはやってみる。そのために、ポジティブな情報に触れる。 無謀になるわけじゃない。ただプラスの要素を積み重ねておきたいだけ。
そんな気持ちで日々を過ごしていると、周囲の言葉が妙に象徴的に響いてくる。 「なぜ起業しないのですか?」 「当校の外部講師として来ていただけませんか?」 「もう会社辞めてる人だよね?」 ──まるで、僕が今いる場所が“もう違う”ことを、他者が先に気づいているかのようなメッセージ。マジ?!
そして、ある日ふと思った。「転職エージェントに登録して、市場感を感じてみよう」と。 真面目にレジュメを書いていくうちに、自分の歩みを客観的に見つめ直す時間が生まれた。 すると、あるエージェントからダイレクトメッセージが届いた。 それは、ただのスカウトではなかった。 まるで「あなたの次の領域は、ここにありますよ」と静かに告げる声のようだった。
日常は、静かに語りかけてくる。 気づく者にだけ、次の扉の在りかを。 そして僕は、気づいた。 もう、次の領域へ進む準備はできている。
もう、ここには僕の居場所はないんだ、ここに留まる必要はないんだ。
とはいえ、妻は我慢してぶら下がるという選択肢はないのか?と確認してきた。
無いね、組織のネコ属は我慢料として報酬をもらうという定義はないのだ。自分の信念で動いているんだよ。そういうのをイヌ属の人は「青臭い」といか「理想論」とか言うんだよね。別にいいじゃん、こういう方法もあるってことで。
過去を手放すことは、声高に叫ぶことではない。静かに、しかし確かに、自分の中で何かが終わり、何かが始まる。
この一年、僕の中で何かが静かに変わった。 それは劇的な転機でも、誰かに宣言するような決断でもない。 ただ、自分の中で「もういいだろう」と思える瞬間が訪れた。 執着していたもの、守ろうとしていたもの、 それらが、今の自分にとってはもう必要ないと気づいた。
YouTubeのアルゴリズムが、まるで僕の心の変化を映す鏡のように、 タロットやマインドセットの動画を勧めてくる。 ミキティーや庄司智春さんの動画に共感しつつ、僕の中の何かが動いていた。
橋を渡る前に、叩きすぎて壊す必要はない。 ただ、静かに準備をして、次の領域へと進む。 誰かに相談することもなく、自分軸で決めて、 ポジティブな情報を積み重ねながら、 自分にとって「良いこと」だけを選び取っていく。失敗したらどうするのだ?学んで再チャレだ。ヤバかったら撤退もある。一旦装備を整えて再チャレンジだ。そうゲームと同じ。
正常性バイアスのスイッチを切る。
だってもう僕らはパンツを履いているし、様々なツールを持っているんだから、わざわざここに留まって餌が上から降ってくるのを待ってるなんて、そんな退屈な日々を送るくらいなら、人間の価値って何だ?考える価値ってなんだ?
そんな気持ちなんだよね。
このグラデーションのどこに立つかは、あなた自身の問いと選択によって決まります。
こうあるべき、のべきね。
こうでなければならない、もね。
もう、命に係わることならわかるけど、そうでないなら、別にそんなにムキにならなくてもいいだろうに。って思ってしまうんだ。
ルールを決めろ、ルールを決めろ
そのルールがあるのにエラーが起きると、さらにエラーを回避しょうと、複雑なルールが追加される。
もうコントです。ほんと。
ちょっと俯瞰でみれば、自分たちのコントに気付くと思うんだけど、これが中の人は
気が付かないんだよね。ほんとに。
おおー
確かに・・・・・
趣味なぁ
何だろう?って思ったのは今年の三月。
なんでそんなことを思ったのか?といえば、それは履歴書に記載するため
面接でのコミュニケーションで使うため、
そこで思ったのは、あ、俺趣味無いわ・・・・って。
思わず、コパイに聞いたけど、やっぱ俺、趣味無いのよね。
何も。
あ、犬に散歩につれていってもらうこと。ってね。
ダラダラとYouTubeを見ていることを趣味っていうのもなぁ。
何だ50代の趣味って。まぁ、本を読むくらいか。もうこの歳になると趣味も無いわ
という俺。
そういえば、山下達郎のCD買ったり、昔子供のころ、自由に買えなかったものを
少しずつ手にいれて聞くってのもいい趣味だと思うんだよね。
一方、バイクに乗ったりクルマや釣りやなんやとそういう趣味の人いると思う。
しかし、それに使えるお金が無いという事実
どう考えても、つじつま合ってないような気がするが結構な費用がかかっている。
そんな高級なものも 着てないしねぇ。付けてないしねぇ。
なんでこんなお金ないんだろう?って
まぁ、趣味って別にお金のかからないものもあるから、そういう目の前のちょっとしたことに気付いていくのもいいよね。
これまで何度も「ライフ」※(ゲームの「ライフ」のことね)を賭けて進言したり、精神を削るような出来事に向き合ってきたつもりでした。けれど、相手は特に気にしてもいないし、覚えてもいないようでした。 まぁ、立場が違えば仕方ないことではありますが、提案や説明を重ねても理解されず、はしごを外されたり、背後から刺されたような経験もありました。
感度が高ければ、この半年の僕の言動は「仕事を手放すための手順」だったと気づけたはずです。 とはいえ、わざわざ匂わせることもせず、僕自身は仕事に対してモチベーションを保っていました。お客様がいれば、当然全力で向き合います。だから、僕が退職を考えているなんて、誰も思わないでしょう。
僕は「どうせ辞めるんだから」といった投げやりな考え方ができない性質です。 目の前のお客様との関係性を大切にし、満足や利益を最大化することで僕らの価値が上がる。そういうマインドが根底にあるからこそ、会社を辞めるかどうかに関係なく、ライフが減ろうが無かろうが、やるべきことはやる。それが僕のスタンスです。
でも中には、「どうせダメだから」「テキトーにやっても変わらない」と言う人もいます。彼と話すと、本当に理解できないことばかりで、正直疲れます。 本心は違うのかもしれませんが、そういう言葉や態度を表に出してしまう「感覚」が僕には理解できない。 世の中は、そういう人の言動を飲み込んだり中和したりしながら動いているのかもしれません。ネットの世界でも、一部のしょーもないコメントがフューチャーされて、それが全体のように見えてしまうことがあります。そういう人は、全体の1割くらいでしょうか。
彼らは会社や個人、組織に文句を言うけれど、自分では何もやらない。 「それを決めるのは私ではない」と評論家気取りで、上から目線。安全な位置に身を置いて、批判や糾弾を繰り返すだけ。何も生まれないのに。まるでマスコミのようです。
意見を言うときも、「私はこう思う」ではなく、「みんなそう」「普通はこう」「こうあるべき」と言う。自分の背景を含めた考えを表明することはありません。
昔は、そういう人を軽蔑していました。関わりたくもなかった。 でも仕事だから関わることもある。だから「しょーもないやつだなぁ」と思っていました。 今は、そういう感情を通り越して「気の毒な人だな」と思います。 そういう考え方で生きていくことを本人が選んでいるのだから、僕がとやかく言うことではありません。 それが気持ちいいんでしょう。脳の報酬系が成立しているのだから、脳内物質の使い方としてはもったいないなぁと感じます。
業務の手順やテクニックは、時間をかければ実装できます。 でも、気質やキャラ、育った環境、人間性に起因する要素は、会社に入ってもほとんど変わりません。 他者から変えようとすることの無駄さといったら…(笑)
だからこそ、面接では価値観の一致が重要です。 でも、それを2回の面接で見抜くのは至難の業。だから余力のある企業はインターンシップを導入しているんです。
僕は、社長の考えを変えようとは思っていませんでした。 むしろ「社長の考えはこういうことですよね?」「ビジョンにも合致していますよね?」というストーリーを描いてきました。 でも、気づけばそれを言っているのは僕だけでした。
社長の意地悪な感情が見え隠れし、それに呼応するように意地悪な態度をとるメンバーたち。 社長を守っていたはずなのに、いつの間にか僕が悪者になっていました。 変えようとしているのは僕だけで、僕が言うからやらせているだけ。 社長自身は「変える必要はない」と思っている。 そんなふうに社長のことを、みんなが思っていることに気づきました。 つまり、社長の本気度が見抜かれていたんです。
「とはいえ、自分たちで何とかやっていきましょう。社長は安心して見ていてください」 そんな自立した考えを、メンバー全員に浸透させることはできませんでした。 若いメンバー(僕が直接上司だった子たち)はそういう考えを持っていましたが、 それ以外のメンバーは、上の人が決めたことをただ遂行するだけ。まるで奴隷のような体質が染み込んでいました。
だから、社長にはアップデートが必要だと、数年間ずっと言い続けてきました。 でも、通じない。本当に通じない。事業についても、ずいぶん説明しました。
それでも通じなかったということは、もしかしたら僕がおかしかったのかもしれません。
ということで、私は「転職」します!
イエーイ!
ハシゴを外されるという経験をしたことがあるだろうか?
もちろん、ハシゴを外した人もその気はなくて、まるでピタゴラスイッチみたいに、
あるいはジェンガみたいに、違うところが崩れて結果的にハシゴが外れてしまう。
思い起こせば、予兆は何年も前からあったってことか。
それが
例えば信用とか信頼といったカテゴリに属するものだった場合は本当に致命的だ。
それでも、一つづつ着実に進めていくしかないわけだが、
いちいち感情を乗せてねじふせようする人や、関係ないやって斜め上からの人とか
いろいろいるんですよ。
みなさん、感情を乗せる人って、その先に何があるのかを想像できない人が実に多い。
要するに小学生レベルなんです。悪い意味ではなく、純粋とか1側面に捉えられている、っていうある意味正しい、まっとう、真面目。
組織のネコという働き方
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これを読んでみてほしい。
ハシゴを外されても、誰かがやらないとならない謎の仕事は誰がやるの?
何でもルールで片付けできるというのは幻想に過ぎない。過信しすぎ。
ルールの外や変化球があるなら、それでもいいよねっていうルールもいいと思うのは
私がネコ派だからだ。
老いるショック!
まずは認めること、膝が痛いなぁ、老いるショック!
そうだ、老いるショック
そして、老け作りだ。若作りじゃなくて、老け作りなんだよ。
自分の実年齢よりもさらに老けていこう、そう、老け作りだ。
そして、アウト老になろう。目指せ、アウト老
はみ出していく、ロックだぜ、普通の老人からはみ出していく
ノン哲学のアウト老
そうすれば、不安なんて、不安タスティックだぜ!
そう、不安な時は不安タスティック!!
これらのナイスな格言は、僕が敬愛するじゅん爺が言っていたので。
素敵だ!
趣味はなんですか?と聞かれ、思わず、答えに詰まる(笑)
あれ?俺、趣味無いじゃん、自転車も、バイクも、載ってない。ウォーキングもしてないし、腕時計ももはや趣味と呼べるレベルとは言えないだろうしなぁ。
趣味とはなんぞや?
AIによれば、仕事や勉強以外で、楽しいと思えることで、自分が充実していくこと
的な感じらしい。
なるほど、犬と散歩に行くってのは、別に楽しいとは思えないのだ。単に、犬に申し訳ない、存分に外の匂いを嗅いでくれっていうスタンスで、俺自身は楽しくはないから、犬と散歩に行くというのは趣味ではないな。わかったぞ、家でダラダラしている時が一番楽しい。
ってことは、家でダラダラしていることが趣味か。
しかし、それはなかなか人には言えないなぁ。
そんなことを書きながら、あ、今俺YAZAWAを聞いているじゃん。
そうだ、忘れてた、音楽を聴くのが趣味です。
本を読むのが趣味です。
これで決まりだね。
僕はラジコユーザ。
しかも、プレミアムプランという有料プランに入っている。
確か・・・・・月350円だったか、300円だったか覚えていないけど、それくらい払っているわけだが、いつの間にかプランの内容が変わっていた。
従来のプレミアムプランというのは、まず、全国のラジオが聴けるということ。
それと、タイムフリー機能というやつ、これは、リアルタイムでなくても後から聞けるという機能。
これは深夜ラジオを昼間や通勤時や週末に聞ける便利な機能
僕は、今は、大阪のABCにはまっている。
他にも全国のラジオで、ローカルのニュースとかを聞くと、なんか、気分はトリップするのです。それが実際に行ったことのある神戸とか熊本とか大阪なら尚のこと。
僕がよく聴いている深夜放送は、伊集院光の深夜の馬鹿力とナイナイのオールナイトニッポンなのだけど放送時間が2時間とかあるので、これを昼間で聞こうと思ったら、なかなか聴ききることができないわけ。
で、聞き始めた時点から24時間以内であれば聞けるのだけど、24時間を過ぎると聞けなくなるのです。しかし、それは、あくまでもその場所、例えば東京で馬鹿力を聴いてて、24時間以内に聞ききれない場合は、なんと、聞いてるエリアを北海道などに切り替えれば北海道の放送が聞けるという機能があります。もちろん、CMも北海道だし、ニュースが入り込んだ場合なども北海道のオンエアを聴いているので、番組によっては構成が変わるものもありますが、
伊集院光の馬鹿力とナイナイのオールナイトは同じ放送をしているので、続きを聞けるのです。
(音質は違うんですけどね)
ところが、最近、ラジコは、全国のどこで聞こうと、番組を単一のアーカイブとして、それを聞き出したら、とにかく24時間以内に聞かないと、他の局に切り替えてもさらに課金しないと聴けない仕組みになってしまった。
おいおい、今までと同じ使い方をするには、865円も払うんんだと(笑)
うーん、そこまでのニーズは無いな。というか、その姿勢には共感できない。
ラジコに替わるアプリがあれば乗り換えるのになぁ。
もしかしたら、不謹慎かもしれないけど、
雪、降らないかなぁ、って思うのです。
なぜかって?しょーもないゴシップ?スキャンダル?を垂れ流しているテレビとか。
あれ、一瞬ネットで映ってるのを見たのですが、深夜まで会見をしていることの意味を考えると、あれあれ?みんなアホなの?何のためにやっているの?質問している人も、しょもーない人が多いなぁ。と。
そういうの、雪が降ったら、みんな雪にフォーカスするでしょ?
なんと、2024は投稿はゼロだった。
そんなことはこれまで一度もなかったのだが、まぁ、それくらい忙しかったというのもあるし、こちらに意識が向く余裕が無かったということ。
久々にアップしてみる。
さて、竹内まりやのプラスティックラブを聞きながら 明日から寒くなるらしい。 本当か?いやもう10月も後半だ、そりゃそうだろう。 いつのまにか10月ってこんな感じだったっけ?っておもう。