ラベル 日々の事 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 日々の事 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年5月19日金曜日

深夜特急 オンザロードが素晴らしい➡︎当たり前か(笑)


 深夜特急 オンザロードが面白い

斎藤工くんがすごくいい。まるで、彼の物語を聞いているようだ。

僕は、完全に彼の朗読の、彼が主人公の、ロードムービーの中に引き込まれてしまう。

毎日23時30〜のオンエアを必ずしもリアルタイムで聞けるとは限らないが、

ラジコのタイムフリー機能で、土曜日なんかにまとめて聞くことができる。


なんだろう、この薄暗い感じ、眩しい感覚、怪しげな感触は。

僕自身が多少の海外での旅の経験があるから共鳴しているのか?というと、

そもそも、この小説、沢木耕太郎が産経新聞に発表したのは、僕が小学生の頃の話で、

その時代に、この本がベストセラーになるくらい人々を魅了したというのは

旅の経験などではなく、明らかに人間の何かに共鳴させる何かが、

沢木耕太郎の文章には染み渡っているわけで、

それをあえて遠ざけていた僕が、今更おじさんの歳になってこれを

斎藤工くんの声で聞くってのは、なんだか不思議な感覚なのだ。

もし、これが僕が20代だったら、まちがいなく、旅に出ていただろう。

後先を考えずに。

後先を考えずに

それが許された、本当のゆるい時代

相対的な尺度が世間に設定されていることの、安定感の中でこそ

自由な電子がとびまわれるという事を、多くの人は理解していない。

本当の自由はこれだ!とばかりに、若者たちに

君たちの自由だ、好きにせよ、などという大人のなんと無責任なことか

若者を、宇宙空間にポンと放り出すような無責任を、大人も当の若者たちも

本当の自由なのだから、それこそが正解、正しい、ナイスなんだ、と

決めかかかっている。


答えなんてないんだよ。

わかる?


深夜特急 オンザロードが、答えのない世界を疾走する

暗闇の中を自由に移動する感覚を、どの瞬間から見出すかは、あなたの自由だ。

2022年8月14日日曜日

おおっと・・・・・


糸井さん、そりゃ、潜在意識の部分をもっと露呈させないと
要するに、腹を割って話さないと無理ですよ(笑)

上の糸井さんのコメントをそのまま流用するなら、僕なら
”いわゆる「ワクチン推奨」の考え方がしょうにあっている人がいるんだろうな。と。でも、こりゃちょっとヤバいかな、と思ったら、
「俺は打ちましたよ、世のため、人のため、家族のため////」とか言って
実は、ひっそりと、打ってないと云う事を心に留めておけばいいではないか。”

とね。

あのね、打ちたくても打てない人もいるんですよ。
打ちたくなくても打たざるをえなかった人もいるんですよ。
糸井さんのような複数視点を持った
コピーライティングの神様のような人が、この程度の認識だとは思えないけど、この程度のツイートは、ダサすぎる(笑)

二元論にハマったら危険ですわ。世の中は二元論ではないんです。
でも、私たち市井の者が論じるときに、いや、世論を誘導するときに、
二元論は有効なんですよね。しかも、あちこちに弁証法の軸が設定されている。
そして、巧妙に二重、三重の縛りが仕組まれている。

「命を大事にしよう」と「ワクチン接種」を同時にキャンペンした際
これに反対すると、「お前は命を大事にしないのか!!」と責められる訳ですね。
これ、いわゆる毒親や人格障害の類、あるいは人心操作に長けた者のやり口です。

そういうロジックを理解していれば、別に、ああ、また、変なこと言っている奴がいるなぁ、というだけですが、
これが、世間に浸透すると、本当に面倒なことになってしまうのです。

外的要因の数々によって浸透させられた世論誘導を内部の1粒から変化を起こすというのは、もはや不可能。

アーミッシュのように、離れたところにポツンと暮らすという方法もあるが、
あとはネットワーク型で所々のグラデーションを変えていく戦法しかないだろうなぁ。

オセロで白黒反転だけしゃなくて、黒に近いいグレーやクリーム色っぽい白とか、
グラデーションに着地させる。
遠目で見たら、それは世論という曖昧な空気の変化に繋がるのだと思う。
しかし、これ、相当の時間がかかるだろうなぁ。

2022年7月7日木曜日

FIRE ONEDAY BLACK is cool

このコーヒーの素晴らしいところ

600ml
ぬるくても美味しいという設定
で、実際、デスクで1日かけて飲む。

600にしたのも、室温で飲むのも
マーケティングの仕業だろうなぁ。


 

2022年7月6日水曜日

思考試行錯誤

何の意味があるんだ?

意味の無いものは無いです、沢山の意味があります。

2022年7月2日土曜日

デザイン思考

今さらデザイン思考

そう、今さら。
というか、わざわざとお避けていた節もあったわけだが、
「デザイン」と云う言葉は、実は論理的だったり、科学的だったりするわけで、
そういう側面があるのに、素通りしていたんだよね。
今回、強制的にというか、自らというか、そういう思考にチャレンジすることになった。

物事を特定のロジックをもとに考察する。
その際、最も難しいのは自分の感情、経験、諸々の配分をどのようにコントロールするのか、ということ。
これが難しい。

今さらデザイン思考

この歳になっても気づかされることばかり。


ビデオレンタル、
DVDレンタルが活況だった時代、
そのユーザにどうなれば便利ですか?って聞いたら、
自分のアパートの下がツタヤだったら、とか、
DVDの返却が簡単だったら、とか、そういう視点しか無かった訳だ。
事実、ツタヤは返却ボックスでそれを対応しようとした。
そして、深夜まで営業していたり。

で、どうなったか、通信環境と映像がデジタル化されたことと、機材の対応により
今は、ネットで配信されている。しかも、サブスクリプションだと。

ユーザの意見は、今を知ることはできるが、
未来を推察することはできない。それには別の考察が必要な訳。

こういう事象を分析する論理がすでにあって、それらを含めてそのプロセスをデザインする。
これをデザイン思考と呼ぶわけね。
実に面白い。
これ、学校でこういう授業やったら、めっちゃハマるなぁと思う。
マーケティングなどもそういう手法を使っている訳で、そりゃ、仕掛けがある訳です。

最大効果を狙う、損失を最小にする、成長を最大にする
こういうことをやろうとすると、
そんなことやっても無駄だとか、意味ないとか、そういうマイナス思考の発言をする奴は、正直言って、面倒な訳。
失敗した時に、ほれ見たことか、とか、結果を批判する。
どうせできる訳ない、で、出来なかった者を批判する。
どうやったら出来るのかを考えよう、という発想にならない。

嫌なら辞めろ。という本が昔あったと思うが、その本を渡したいね。
文句ではなく、意見やプラン、論理を言えと。
感情に生きているやつとは、できるだけ関わりたくないものだ。

同じ場所に留まって生きるという道もあるだろう。
でも、僕は、大変でも新しい領域にせめてつま先だけでも動かして
数センチでも動き出そうよ、未来のために、後輩のために。

2022年6月7日火曜日

さぁ、投資しよう!

 政府が、投資を!と言っている。
もう、前にもあったけどさ、また言ってるよ。
年金の払い出しを遅らせることや、自分で積み立てて、利益を出せと言ったり。
どんどん攻めて投資しないと、老後に必要な資金は貯まりませんよ、と
煽る
煽る
この煽りにみんな違和感を感じているから、
個人積み立て年金の投資において、
攻めの投資をしている人たちは、せいぜい1割だ。(私のしっているグループ)

経済の原理で言えば、誰かが儲かれば、誰かが損をするという原理で、
どんどん攻めて儲けろっていう感覚は、我々日本人にはどうにも馴染めないんだと思う。
そして、馴染めないという感覚を、この経済システムを構築した馬鹿人には理解できないのだと思う。
だから、非課税にするとか、餌をあげるわけね。
もちろん、
それは自由だ。
好きにすればいい。
でも、そういうものをやりながら、サステナブルとか、SDGsとか、
しょーもなことを言っている人がいたら、正直言って
「うわー、この人とは、話は 交じわう点はないなぁ_____」と。
持続可能な、とかそれの行き着く先は、共産主義だ。
投資(商品)を牛耳っている、設定している勢力は、どこなのか?
投資者が得しようと損しようと関係なく、得する勢力があるということ
そもそも、詐取システムに組み込まれているということをどう考えるのか。
新資本主義と共産主義(人類皆兄弟というやつのもあったな)という設定自体が、
怪しい話で、誰が、そんな二元論のどんぶりテーマを当てはめられたことで、
私たちは、盲目になっている。

多くの市井に暮らす者は、目の前のことにしか、解像度は高くないので、
やむをえないが、少しずつ視点をずらしていくと、しょーもな、ってことが
あちこちで起きていて、まぁ、茶番劇が今日も起きているわけで、
そういう視点を持つと、
政府が、「投資しよう!」っていうセリフは、気持ち悪いの一言だ。

おそらく、成功事例をどんどん紹介するはずだ。
そして、実際に、投資に成功する商品群が注目される提灯番組やCMや記事が登場する。
そして、大半が、儲かる。
そう、あの時と同じだ。バブル崩壊前夜。
もう、みんな忘れたんだろうな。
どんどん、お金のある人は投資しよう!
ある日、ドーンと暴落する。資産価値は、消失する。

そもそも、増えたと思ったものは、誰かの損失を増大させたものだろう。
自分が茶番の片棒を担いているなんて、正直笑えないでしょ。

2022年6月5日日曜日

世の中には、あんぽんたんも、一定数存在するのだ。

 
男なんだから頑張れ

社会人なんだから頑張れ

管理職なんだから頑張れ

社長なんだから頑張れ

政治家なんだから頑張れ

まぁ、これらの表現は、僕自身は「あり」だと思う。
なぜかというと、その立場、役割において、どうしてもやらなければならない事があるはずで、それは、身体的特徴かもしれないし、経験や立場による違いかもしれないけど
その状況において、頑張れっていうのはありだ。

でもですね、相手の気持ちを考える事が出来ない人や、自分に置き換えたり、自分の頭で考える事が出来ない人は、
概ねこう言うのだ。

○○のくせに、何やってるんだ!?

○○のくせにそれでいいと思っているのか?

こういうしょーもない問いかけをする人がいる。
はっきり言おう、こういう人は 
あんぽんたんというのだ。あんぽんたん(笑)

にも書いたが、
○○で良いと思っているのか?という問いかけは、
実は、yesと言ってもnoと言っても、ドツボにハマるように構成されているのだ。

これを二重拘束、ダブルバインドという。

相手に、怒りをぶつけるのが上手はあんぽんたんは、
だいたいこういうロジックを使う。

引っかかってはいけない。
相手にしてはいけない。
こういう輩についつい、引っかかり、ざわつきますが、
放っておくしかありません。

本人が、自分自身がドツボにハマっていることを理解し、
脱出してくれるしかないのです。
本人が変わるしかないのです。

他者が変えようなんていう試みは、気持ち悪いと思いますわ。


やってみるのも良いのではないか?

やったことない
未経験な事にチャレンジするのは
なかなか大変だと理解している。

もちろん、
チャレンジしないという選択肢もある

この先に、
チャレンジすることで見えて来る世界があるのも事実。

チャレンジしている人を
チャレンジしない奴らが非難する。

非難するやつは、
大概は大きな主語を使い、
自分を議論から、除外する。
自分だけを安全圏に避難させ、  
ときには、人格攻撃したり。

そういう奴は、一言で言えば
無責任の塊。
そして何でもよこせ、の
クレクレタコラ


目の前に、自転車がある。

自転車で、転んだらどうすんだ?
痛かったらどうすんだ?  
事故ったら、どうするんだ?
傷ついたら、血でたら、
自転車乗る事に何の意味があるんだ?
自転車にお金をかけて、時間を割いて、
失敗したらどう責任取るんだ?と。

は?

じゃ、自転車には、乗らないで、
歩いて行って、野垂れ死にするの?
 
いや、「歩く」ならまだいい方だ、
それなら、自転車と歩くを比較して、
リスク回避になるもんな。
しかし、
否定者は、そこに留まろうとする。
そして、動こうとする人たちを非難する。
非難はすれど案は無し。  

このままでいい、今までそれで良かったのだから、
わざわざ大変なことをやらなくてもいいではないか?と

あれ?これ、
正常性バイアスと同じ構図だな。
そして、チーズはどこへいった?と同じ構図じゃん?


人生は、経験だ。
と思う。

身体で体験する
脳で思考する
その二つを組み合わせて行動する

失敗さえも貴重な経験だ。

そういう事を素直に応援したり、実践したり
助け合ったりするのって、人として、当たり前だと思っていたが、
そうでない人が、いるという事に唖然とする。

まあ、それも僕の経験か^_^

しかも、それって会社あるある事項ですよ、
と、
諸先輩から言われて、
なーんだ、普通の事か、

妙に落ち着く。

良かった・・・・・(笑)

確かにね
全員と共感してたら、
それはそれで、気持ち悪いかもしれません。

チャレンジ中の人や、失敗経験のある人は、
それをやろうとしている人や、失敗した人に向かって
絶対に避難したり、馬鹿にしたりはしない。

経験者から、大丈夫だ、頑張れって言われら、勇気が湧いてくるものだね。

2022年5月17日火曜日

世の中、いろんな人がいるという事実を。

世の中は
○○でなければならない病の人 多い。
そして悪い人、悪人ね、
で、こちらが思っている常識の根底が全く異なる人
良心の無い人、そういう人が一定数混じっていいるという事を脳みそがお花畑の人は
認めないんだな。

まぁ、そういうお花畑の人も混じっているのが世の中そのものなんだけど。

ドローン的な視点から見えれば一目瞭然だし、
あるいは、時にはマクロレンズで接近観察とかさ、思考の視点は何ら制限される事は無いのだよ。
制限をしているのは自分自身の概念なのに、あたかも他者のせいにしてしまう人
そういうのも俺からしたら、お花畑の人なんだな。
いや、お花畑ではなくて、枯れ草の荒野って感じで、何もない。

放っておけばいいのだろうが、そういう人は大概は俺のようなちゃらんぽらんな人格
何とか矯正してやろうとか、単に、非難したりする。
べき論を巨大な主語で振りかざす「ベキラー」だ。
こういう人は、本当にあんぽんたんだと思う。

まぁ、一時、僕も、こういう荒野の人に対して、外部から刺激を与えれば変わるかもって思っていた時期がありますが、近年は、人の気持ちは変えられないということをすっかり理解したので、あまり相手にしません。
この人は、どういう人になりたいのだろう?
どういう大人であろうとするのか?
まぁ、どうでもいいですね。まずは私が、俺が、僕が、どうしたいのか?
ということを明確に意識していくしかないでしょう。それが答えです。

2022年3月15日火曜日

PCR検査は○○だよね

 今日、とある方と話をする機会があり、

その方曰く、タイ象さんの仰る通り、最近は、PCR検査を受けたたくない

という方が増えたきたようです、と言っていた。

これ、どういうことかと言うと、

何だかわからないが、PCRを受けると、犯人にされてしまうということで、

ならば、わざわざ受けることも無かろう、という判断をする者が

増えてきたようだとのことで、

彼らは、直感としてそういう行動に出ている模様。

何なら、私が、全員に説明したいところだが、そうもいかない(笑)

ただ、現象、原理として、検査を受ける(続ける)限り

プラス判定が出続けるという当たり前の理屈に、

何となく気づき始めた人が増えたきたようだ、とのことで、

彼には、そのことをもう1年半前から言っていた訳だが、

最初は、半信半疑だった彼も、ちょっとは僕を見る目が変わったのかな?なんて。


3回目もままならない状況で、

4回目のインジェクションを検討している彼らの中には、そももそ1回もインジェクションしてない人がいるという事実に、プチ炎上していることさえ知らない人々もいる。

なぜ急かすのか?なぜみんな打っているというのか?

なぜ、他人のため、とか社会のためとかじじばばのためとか、かっこいい事を言うのか?

耳当たりのいいことを言いながら、急がせるというのは、あれですよ、あれ。


集団催眠商法とか、詐欺師のテクニックです。

みんな人がいいからなぁ。世の中に、悪い人がいないと思っている方が実に多い。

それはそれで素晴らしいことですけども、

僕は、死んだばあちゃんに、都会が怖いところ、悪い人がいるから、

お前はすぐに人を信用するから、気をつけろよ、と言われていたものだから、

それを忠実に守っているんだけども、

世の中は、善意に満ち溢れているので、ね、そういうこともない。

ある意味、そういう人たちのおかげで社会が醸成されている訳だから、

否定するものではないけども、そろそろ気づこうよ、なんてね。


2022年2月19日土曜日

BA.2だとさ^_^

もしかして、
ウィルスの選択圧が作動したのではないか?



騒動は、いつまで経っても終わらない。
検査を辞めなければ終わらない。
検査をし続ける限り、
陽性判定が出て
遺伝子検査をし続ける限り
新しい株が見つかる。

当たり前だのクラッカー

バカでもわかる。

これが分からない人は、バカじゃなくて、なんでしょうねー

ワクチン接種後に、流行のピークを迎えるインフルエンザから推察するに、
今回のワクチン接種も
これ自体が、陽性者発現に作用している可能性もある訳だが、
何しろサンプリング条件がその都度違うので、
データをノンバイアスで比較出来ないというバカさ加減
 
医療分野って全く科学的思考が反映されてないんだな、
という事を
この2年て学んだ。

ある意味、その気付きのきっかけを与えてくれた今回の騒動に感謝する。
ありがとう。
だって、今回の騒動がなければ、こんなこと考えたこともなかったし。

2022年2月15日火曜日

世の中バカなのよ

世の中バカなのよ
よのなか ば かなのよ 〜〜

病床を増設するとさ。

またバカ施策だよ
バカすぎて倒れそうだ。

普通の診療、病院で診られるようにすれば良いだけなのに、
専用の病床を用意だと。

増やして、
減らして、
また、増やす。
一年半前から指摘されていた事を未だにやっている。
これ、企業なら、完全にバカ、アホ、タクランケ
いや、違うか、
楽して補助金もらえるから、
ナイスな施策か。
物事を俯瞰で見ると
誰が儲かるのか、誰が利益を得るのか、
国民の健康の為?
いえいえ、違うでしょう。

現場が疲弊していく事を
2020年の春には警告していた医師らがいたのに。
(未来投資会議 大木発言)

やっぱり、こういった構図に違和感を感じない我々大人たちが、
バカなのです。
早いとこバカスパイラルから、脱出しないと
全身の細胞が、バカ細胞になってしまう。

また、3回目を接種するという方に会った。

無理検査キットの申し込みあるよ!と、親切に情報を送って来る人がいた。

もう、本当に笑うしか無い。
皆さん、真面目で素直でいい人なのです。

何というのでしょうか
バカ空間を設定されてしまい、バカゲームプレイを知らず知らずにさせられている。

これさえ打てば、
貴方と周りは幸せになります。
みんなやってます。
無料です。
打ちましょう!

と、言われて
打っちゃう方々。

なんともなぁ、と思う。
せめて、若者や、子供らは打つ必要無いと、
大人が言わないとな。

オミクロン舐めんなよ

オミクロン 舐めんなよ


オミクロンへの対処は、もはや風邪と同様でしかない

と、私が言うと、

いやしかし、

「オミクロンを侮ってはいけない」とか

「警鐘を鳴らしている方がいる」とか。


テレビでは、そういう方が一定数出演されており、

私の言うことなど、まったく相手にされない訳だが、

私から言わせてもらえば、

それを言うなら「風邪を侮ってはならない」

「風邪をバカにすんなよ」ということ、

風邪を舐めんなよ!と

そっくり返したい。


所詮は、

人それぞれの症状や経過や問診でしかない訳で、

仮に、DNA検査でオミクロンだと認定したとして、

どうだというのだろう?

統計目的や臨床医学としているなら理解できなくも無いが

治療には関係ないだろう。


事実、私の知る情報では、一般的な風邪薬を処方されている人や、

発熱に関しては、ロキソ系の解熱剤を処方されている人もいる。

保健所の指示も、明らかにリアルタイム性を損なっており、

気の毒な状況だ。


そもそも風邪とは何なのか?

という事を、知らないのか無視しているのか。


風邪という病気は無いはずだ。

病態はあるけども。

で、

オミクロンと風邪を区別することに

どれほど意味があるのか、説明できるのだろうか?


風邪とは、ウィキなどによれば、

ウィルス性感染症で、主に上気道、咽頭に感染・炎症を引き起こす

疾患なわけでしょう?


オミクロンかどうかは関係無く、症状と問診で診断するしかないじゃないの?

素人は思う訳ですよ。

さて、医師はどうなんでしょうねぇ。


僕が子供の頃、風邪を予防する薬が開発されたら、ノーベル賞ものだ、

なんて揶揄があった。でも、それを開発したら、

薬が売れなくなるから、それはあり得ない、という揶揄もあった。


さてと、

テレビに出ている医師さんたちには、是非、

そこんとこ、説明してもらいたいですね。


2022年2月14日月曜日

≪Yahoo!アンケート≫コロナの位置付け「5類」に下げるべき?

ヤフーのアンケート


ヤフーを見てる人の中で、この騒動の5類、2類相当について知見と興味がある人らにとっては、5類に下げるべきという方は、82%もいるということ

これが、市井となった場合にどうなのか?というのはまた別だが、
まぁ、一定の認知はされていると思われる。

こんなもの、2020年の夏には、もう、この議論はあったろうに、
なかなか進まないのは、5類にすることで、不利益を被る圧倒的な勢力があるということを自動的に証明しているわけです。
それは国民の健康や経済や医療システムを逼迫させてまでも、そうしたいのですから、もはや、政治家や国家運営やらが、破綻していることを意味しています。

上が決めたから、
とか
上が決めてくれ
とか
そういう無責任な考えの人が増えてしまったのがいけないのだろう。
要するに、私たちの馬鹿さ加減を私たち自身が、自覚して行動しなければならないということだよね。


このアンケートに答えている人が、選挙の投票人の3割くらいの勢力だったら、
結構な影響力を発揮することになるのだけれどねぇ。



 

2022年2月7日月曜日

こういうのは富岳の有効活用とは言わないと思う。

 富岳についての過去コメント
2020年の10月
https://mtyg.blogspot.com/2020/10/blog-post_18.html

これぞ富岳という実験を見てみたいものだ。
例えばね、普通のPCで、1年かかるような計算を1msecで完了したとかさ。(笑)

PDFを見ましたけど、テキストコピーできないので、ざっと打ちました。


理研/神戸大の今回のテーマの責任者、坪倉先生は
計算流体力学の専門家ですね。
で、
「室内環境におけるウィルス飛沫感染の予測とその対策」
としております。
(京大、神大、阪大、豊橋技大、東工大、九大、
NUS(シンガポール国立大学)、鹿島、ダイキンの順で記載されております

・通常呼吸における吸引飛沫量をシミュレーション予測
・飛沫中のウィルス量は過去文献より仮定し、体内に侵入するウィルス量Nを算出
感染に至るウィルス量(No)を過去クラスターイベントより仮定して、
感染確率を推定(文献※→これは未査読のこれまた、推定の論文ですけどね)
で、
5つのイベント
(中国観光バス*2 、韓国エアロビ、韓国コールセンター、米聖歌隊)
から、N0のウィルス量つぃて、300~2000としております。

また、感染者の飛沫に含まれるウィルス数を10の7乗/mlとし、これは
「患者によって大きく異なる!」とビックリマーク付きで注意しております。
(感染者以外の健康状態と抗体量などは未定義だと思われます)

そして、オミクロンはデルタよりも1.5倍の感染力として概算したと記載。
感染しない確率(N0=900時)をグラフ化。
これ、「感染する確率」としないところは何かの意図があるのだろうか?

他にもいろいろあるのですが、もう、
このチーム、坪倉先生らは良心的ですね。
何故かって?
「感染リスクについては、パラメータの設定で大きく結果は変わるので、あくまでも参考値としてください!」
と言っております。
この方、研究者として、ギリギリを言っております。
分かってくれよぉーという感じでしょうか。

このリポートのP5、P6、P10あたりで、十分ではないでしょうか。
シミュレーションとは仮説に仮説を掛け合わせたものなので、
それらを彼らはしっかりと認知していることがわかります。
とすれば、さもこれでどうだ!という論調で報じているマスコミが
バカなのは言うまでもありません。もっと言うと
記者かライターがバカ(バカな振りしても)決定です。
もちろん、それに釣られる私たちもバカ決定!(笑)

でですね、このリポート見てて、これ、富岳を使う必要ないですね。全然。

シミュレーションの一番のキモは、本当にそうなるのか?という実証実験です。
それがあって、初めてその計算方法が正しいとかおかしいとか議論に入ることができます。
今の段階で、富岳のシミュレーションについては問題の定義どまりといったところですかねぇ

坪倉先生にしてみれば、あとは、誰か専門家が実証実験をしてくださいよ、といったところでしょうかね。

発症者の発散ウィルス量を可変させ、非発症者の免疫力の複数パラメータを可変させ、
何億通りのパターンで、可視化しました。とかね。その場合は、
そもそも見せ方が、複数パラメータがるので、二軸と着色くらいじゃ追いつかないので、
新しい表現方法が必要で、そう言ったセンスも求められると思う。

まぁ、それにしてもだ、富岳を使う必要性はなさそうですなぁ。
過去記事にも記載しましたが、
理研が中心になって開発している
ジェネシスという分子動力学ソフトウェアでのタンパク質の動的構造予測につかっているとか
そういうところが良いのではないかと思う次第。
社会貢献を張り切ってやっても、奇妙なポーズ、気の毒な感じが拭えないんだよね。

2022年2月6日日曜日

休みの日は、ドラマを見たり。

ミステリというなかれ、というドラマと
妻、小学生になる。というドラマ

面白いかったので、録画して観ている。
菅田将暉という俳優さんはすごく良いなぁ、なんてみんな思っているよね。
伊藤沙織も、すごく良いねぇ。
主人公の着眼点は、本当に参考になる。
大人になればなるほど、俯瞰視点が重要になるのだけど、
それを気づかされるドラマですね。

TBSの金曜夜のドラマ
妻、小学生になる。の小学生が、天才なので、見てて
毎回引き込まれる。
本当に石田さんに見えてくるのだから、天才だろう。
この小学生?は本当にすごい。
今、調べたら、まいだ のの さんというのだそうだ。
すごい子がいるものだ。
このドラマのエンディングが悲しいことになる感じがして、
すでに、もう、見るのが怖くなってきている私。
ヘタレですね。(笑)

2022年2月5日土曜日

いろんな人と話をしますけども

「わざわざ」無料PCRを受けた人

ワクチンを「早々に」打った人、

三回目を「早々に」予約した人、

そういう方を数人知っております。

私の知っているその方たちに共通しているのは、皆さん、感情で生きている。
そして、物事を多角的に見ることが苦手。
そして、これまた、共通なのは、実は小心者。
「実は」というのがみそで、僕は自ら小心者であることを公言してますし、
相手に対して、ごり押ししたりするの苦手なんですけど、
この方達、相手をやり込める際に感情を露わにして、いわゆる攻撃型なのです。
もちろん、自分が正しい、こうでなければならない、
それ以外は受け入れなれない、
という頑固な側面を持っている方もいらっしゃいます。
以前に、
「日本語としては理解できるが、自分に落とし込むことが出来ない」
と私に言っていました。

プライドがものすごく大きく、そして承認欲求が強く、さらに、他責思考。
こう書くと、ほんと酷い感じですけど、そういう人、一定数いますよね。
この方達は実は流行にも敏感というか、そういう側面もありました。

世の中の空気を構成している人たちは、いろんな考え方を持っているわけで、
それ自体を否定するわけではありませんが、
彼らとは相容れないなぁ、と思ったり。

その中の一人、
今年に入って、僕が、ワクチンを打つ合理的/科学的な理由はもはや無いこと、
それにまつわる科学論文のリンクと記事のリンク、厚労省の不具合報告の件などをまとめたものを配ったら、
「これは、ワクチンを打つなということと同意だから不適切だ」とクレームが入りました。
僕は、「ご指摘いただきありがとうございます」として、
その部分はバッサリ削除して、再度配布しました。

そんなことがありましたね。

子供は風邪の子だよね?

「子供らにマスクをつける事を、知事らが厚労省に要請」との記事を知りました。
小さな子らに、マスクが必要なのでしょうか?にわかには信じられません。

科学的、医学的な見地で、本当にそれが必須なのかを議論した形跡は、見つかりませんでした。もし、国民の社会生活の為だとするならば、もしかして、どこか一部だけに注目し、全体を捉えていないのではないか?と感じてしまいます。

知事個人の意見は、多様ですし、それぞれを否定はしませんが、大切な事は議論を深める事ではないでしょうか?
本当に、知事らは、子どもらにマスクしろと言うのでしょうか。
信じられません。

大概の問題は、指定感染症における分類を第五類へシフトし、通常の診療として、14、10日間隔離を撤廃することで、改善します。
そして、PCRとか抗原検査とかやめるのです。
何故こんな単純な事が、議論が進まないのか不思議です。

本質は、「分類ではなく、柔軟に対応することだ」とする説もありますが、
世の中の大半の方は、奇妙な安心と恐怖に浸ることに心地よささえ覚えいているようなこの奇妙なムード。すでに保健所や各機関はグニャグニャにして2年間もこねくり回しているのですから、それが本質ではありません。
煽りの報道の原動力は指定感染症法における分類がです。
よって、本質は、やはり、分類の変更です。

もしかして、
世の中には、良心を持たない奴らがいることを定説とするならば、やはり、5類にすることを阻害している勢力がいるのかもしれません。
もっとも、その勢力からしたら、怖い怖い、大変だ大変だと「楽しんで」いるのは、お前らだろう?お前らのニーズに応えてやってるじゃないか?とか。

確かに、最近会う方たち、
なんとなく怖い→ウィルス
罹患→かなり怖い→社会的制限→他人に迷惑かける
なんとなく安心→ワクチン→マスク、アルコール、モク食、ディスタンス、時短、酒類制限 など、皆さん口々に言います。
近々3回目を打ちますという方3人に会いました。
皆さん、そのほうが安心だというのです。

もう、いいですよね、それで。
だって、自分で決めて、その方が安心だというのですから。
やはり、そういう方が多数てあり、もしかしたら、台風来た時の「祭り感」と同じように、「コロナ祭り感」をこの人たちが望んで、そこに留まっているのではないか?とさえ感じるのです。
彼らは、必ず、最初の挨拶の後に、まるで、天気や気温の話をするような口調で、自分から、ワクチンの話を始めます。そして、「3回目を打ちますよ」と自身満々で、言ってきます。
僕が、「実は私、まだ、打ってないんてすよ」というと皆さん、椅子から落ちそうになるくらい驚きます。^_^

もしかしたら、こういった方々が大多数なのだろうと、痛感した次第です。
つくづく思った近々でした。

2022年2月1日火曜日

コロナの後遺症というならば、

コロナの後遺症がどうのこうのと言うならば
ワクチンの後遺症もどうのこうのと言わなければならないだろう
それが、科学であり、私たち大人の責務である。

私たちは、一体、何に恐れ、どんな行動をしたのか、
今一度、自分を振り返ることが必要なのではないか?

誰かに面倒なことを丸投げしたい気持ちはわかる。
しかし、それで終わって、あとで言い訳するのは、
それではあまりにも虫が良すぎやしませんか?と。




 

2022年1月25日火曜日

山梨県知事さんに、誰が言ってやれよぉ

山梨県知事のメッセージ

https://www.pref.yamanashi.jp/koucho/coronavirus/info_coronavirus_gvmessages.html

----- 一部引用 ------

ワクチンの2回接種を終えていない方につきましては、通勤、通学、通院など、やむを得ない事情がある場合を除いて、不要不急の外出や移動を自粛していただきますよう要請をいたします。

未接種の方は、接種済みの方と比較しまして、感染の発生率と重症化リスクが高いことから、ご自身の健康を守っていくために、ぜひともご理解、ご協力をお願い申し上げます。

また、現時点でワクチンの未接種者が多い子どもを感染から守るため、家庭内での会話や食事の際のマスク着用、いわゆるファミリーマスク、そしてお子さんを連れての不要不急の外出の自粛など、ウイルスへの防御力の弱い子どもさんを感染から守ってあげる対策を講じていただきますよう、お願いを申し上げます。

次に、事業者の皆さまへの要請についてです。

まず、ワクチン未接種の従業員の皆さんに対しましては、ぜひとも接種を強く勧奨していただきますようお願いをいたします。

併せまして、在宅勤務や時差出勤の実施、体調不良の従業員が帰宅や受診をしやすい職場環境づくりなど、「かからない」「広げない」対策を行っていただきますようお願いをいたします。

-------------


おお、なかなかよく考えられたメッセージだ。これは、プロが書いているね(笑)

全体に漂う「感染者は悪、ウィルスは悪、コロナは怖い」というムードはおいといて、「やむを得ない事情を除いて」と書いてあるから、

それは自身が判断することだから、これは全く問題無いですね。

生活することは生きること、生きるために行動することは必要なことだから、

何ら制限をうけることは無い。ととれますね。不要不急って自分の判断だもの。


そして、接種群と未接種群の感染の発生率と重症化リスクが高いことから自身の健康のために協力せよ?と変な文章だな。(笑)

ええっと、

各群において、感染の発生率をどうやって割り出したのだろう?山梨県の内部データ(保健所データ)があるのかな?

感染の定義を理解しているのかな?

これ、もしや、ファイザーの95論文から引用してないだろうか?

→大平原インデアンさんの調べがアップされておりましたね。


感染の判別方法どうなのか?

被験者がランダムかつ全数検査かどうか?

というのがポイントです。

(もしかして、保健所データあるのかな?興味深いですけどね)

で、重症化リスクが高い?


あのですね、

リスクは「ある」か「無い」かの要素であり、高い、低いの要素ではありません。

(ザウルスの法則さんに教えてもらった)

それを言うなら重症化する確率は接種者〇〇%に対して未接種者は〇〇%と高く・・・・・などの表現を使うべき。

で、さらに

「自身の健康のため」と来るわけです。

おいおい、ワクチン接種者の健康を守るため、非接種者は出歩くなよ!と言ってくれた方がよほど分かりやすいですよね、もちろん反論しますが(笑)


これ、相手の反論をぐにゃって緩和する手法なのです。「それがあなたの為」ってやつね。相手に対して、何とか釘を刺したいというときにこういう論法で行きます。

で、

要するにこういうことです。

「ああ、私の健康を気遣ってくれてありがとう。そうですね、私が判断した行動基準に基づいて、私の意思で引き続きの行動をします。」ということですね。ありがとう山梨県知事さん、自分の健康のために行動します、私。とね。


で、ファミリーマスクのところはもう、コントだから、無視。


それよりも、最も悪質なのは、これだ。

-------

>次に、事業者の皆さまへの要請についてです。


>まず、ワクチン未接種の従業員の皆さんに対しましては、ぜひとも接種を強く勧奨していただきますようお願いをいたします。

-------

強く勧奨したらダメだって!

それは反則ですぞ、知事さん。健康リスクのあるものを強く勧奨ってありえない。

会社と従業員は対等な関係を装っておりますが、実際はそうではないので、会社が強く勧奨するというのは、業務命令(又は違法は圧力)になります。(と見なされます)

では、業務命令に背いたものはどうするのですか?

就業規則に記載あると思いますが、一般的には業務命令違反ですよ。いやちょっと待て、接種は業務か?ちがうよね?任意だ、でも会社が強く勧奨?どういうこと?

これは、裁判所は会社が命令をしたと認定します。もちろん、会社は業務上強く勧奨しなければならない合理的理由を明示、証明しなければなりません。

「知事に言われたから」なんていう責任者がいたらその人はバカです。(言っちゃった(笑))


強く勧奨ってもう、二者の関係性においては、業務だよね?ってことです。


一方、厚労省(国)は、予防接種法に基づき、

接種は個人の自由意志に基づき、判断するものとしているので、会社がそれ強く勧推奨するのは、はダメだし、そのお願いを知事が出し、責任は会社が負うっていう構図に設定するのは、無知な責任者に社会的同意を押し付けて、知事自身の責任を回避しようとする詐欺的表現です。会社は裁判されたら負けますぞ。


これ、例えばですね、強くワクチン接種を禁止したい私ではありますが、会社は打ちたい人とそうでない人の両方の気持ちを忖度しなければなりません。

ましてや、強く(接種か非接種どちらも)勧奨して万が一、障害事象が起きたら、その損害賠償は会社(と個人)にきますから大変です。こういった事は、通常は個人の事であり、非常に配慮しなければなりません。

また、会社が強く勧奨する時点で、応じない従業員が絶対に不利益を受けないような具体的な配慮を会社は実行できるのか?となるわけです。


ですから、受けるのも受けないのも、よくご自分で調べて、ご自身が判断してください。

接種の推奨も抑止も会社はいたしません。とするしかないのです。


それを強く勧奨するって、完全にまずいです。

この部分は撤回してもらう必要があります。これこそ、誰かツッコミ入れろよって感じです。

あ、それ、俺がツッコミ入れるしかないのか・・・・。


で、送りましたよ、以下を。

------

お世話になります。

山梨を応援しております。知事さんのメッセージはおおかた理解できます。

が、一点、企業に対して、接種を強く勧奨してほしいというところがありますが、あれは違法です。

或いは会社が損害賠償の責任を受けることを覚悟する必要があり、すくなくとも感染症法に基づく接種においては本人の自由意志に基づくものと規定されているので、(努力義務という日本語さえも、感染症法内では定義が異なります)

会社が強く勧奨することを、知事さんが言うのはまずいです。

本当に、その点は削除するか、文書構成を変える必要がります。よろしくお願いいたします。

--------