2020年8月27日木曜日

皆さん そろそろホンネを語りませんかねぇ(3/3)


 

今わかっていること。

新コロはまるで、いわゆる風邪やインフルと同じなのか?・・・。

 

この点については、今、非常に重要な分岐点にいると思います。

 

今まで報じられているショッキングな映像や談話は、ほぼすべて、他の疾患の合併によるものです。

新コロ単体で、どんなことを引き起こすのか?という実験を健康な人に新コロを感染させて実験していないので(多分)、新コロのせいだ!と断定などは出来ないはずです。

 

そんな中、ドイツのチームが重症者の共通点として、血栓ができていることに注目し、

日本でも血栓が出来なないような措置をとることで、死亡者数を少なくしていると言われております。

その血栓ができるメカニズムを大阪大学が発表したそうですから、この人らは、

世のため人の為に尽力されている方だな~と尊敬します。

 

まるで、風邪の症状のようだ、という人がいる一方、確かに、血栓ができやすいという事実を突き止めたということは、普通の風邪(ウィルス性疾患)やインフルと比較して、血栓がどうなのか?という点で新コロ固有の現象とした場合は、新コロは単なる風邪ではない、インフルとも違う・・・ということになります。

 

ほな、恐れなあかんやないか!(ミルクボーイ風に)

 

ところが・・・・

我々の対応としてはどうでしょうか?


正直に言いますと、

単なる風邪やインフルと同じようにしか、向き合えないということになりませんか?

だって、状況として同じですから。

対処療法しかないということです。

 

 

私たちは、これからどうする?

 

ここが一番のポイントですね。

医療資源は有限です。また、自治体によって、状況が異なります。

そもそも救命救急の現場などは、新コロ以前にひっ迫した状況であったわけで、今に始まったことではないと思うのですが、それでも新コロについての定義が定まらないうちは、

新コロ対応をとらざるを得ない訳で、それは現場には、大きな負担になるのは紛れもない事実です。

医療現場は定義が確定しないと、緩和出来ない。


ということは、残すは患者側についての再考です。


実際の数字として

死亡者数も低く、

対処療法しかなく、

若年層は重症化しないという現状を鑑みると、

新コロについて、いわゆる感染症分類を季節性インフルエンザと同様のレベルにして、

法的な隔離措置を免除するしかないと思います。


※そんなことを、実はこの原稿を書いていたは7月頃だったのですが、

それをすでに3月くらいに言っていた学者さんらがいらっしゃった。そして、ようやく、

昨日(2020-8-26)に報道でもそんなのがありました。これは当然の流れです。それにしても

時間がかかりすぎです。この間に潰れた企業や飲食店が気の毒です。


この時、完全防護服とかが必要かどうかは意見の分かれるところですが。

何しろ、ここでも新コロについての定義が定まっていないので、軽視してもいいのかどうか

現時時点ではわかりません。

ただ、症状のある人を治療するという明確さがあるので、治療と実績はそのまま経験になると思います。

そして、発熱ある人は、これが、旧コロなのかインフルなのか、新コロなのかを、町医者で判定するようにして、症状にあった対処をするか、しかないでしょう。

 

厚労省は(国立感染症研究所も)サーズの時に、そもそも、当該ウィルスの妖精判定についてPCR判定を鵜呑みにしてはならぬ、と釘を刺しているにも関わらず、今回の新コロ妖精判定をPCRに神レベルの信望をするのは理解に苦しむところです。厚労省も国立感染症研究所も、堂々とマスコミ各社にくぎをさすべきです・・・・って専門家会議はどうなんだ?

 

また、肺炎で亡くなったとして、死亡後にPCR検査で妖精になった場合は、死因は新コロとするようにと厚労省が各自治体に通達したり、刻々と解釈や方針が変わっているので、今後もウオッチしていくしかないのでしょうが、ただ、テレビはもうだめだと思います。


テレビについては、話半分にもなりません。話1/10以下でちょうどいいと思います。

新コロによる死者よりも熱中症による死者が上回っている事実を考察せずに、煽るだけ煽って、だって、数字がそうだから、その通り報じているだけですから、とか言っているのがテレビです。そんな無責任なメディアの言うこと、話1/10以下でしょう?

 

さて、私も、そうは言っても、人前ではマスクは装着しますよ。ええ。

だって、目線が怖いですからね。目線が。

何が怖いって、他人の視線ですよ。(私も日本人ですなぁ/////)


無用な争いは避けて過ごしているのです。皆さんもそうでしょう?

ただ、心持ちが違うってところがミソです。

日本が、スウェーデンほどの死生観を持ち合わせていれば(日本古来はそうだったと思うのですが・・・・・)こんなことにならなかったと思うのですが。

熱中症といわゆる風邪には気をつけろ、と、皆に言って回っていることに、あれ?タイ象の言っていることに、新コロの件が出てこないぞ、って気づいた者がどれほどいるかわかりませんけども、まぁ、私の立場上は過激なことは言えませんので、やんわり発言をあちこちでしております。そういうので、相手は、私の考え方を知るでしょうし、なるほど、そういう考えもあるか、こいつバカかとか思ってもらえれば、思考の多様性のために、一役買っているなと、妄想している今日この頃。

そろそそ本音を語りませんかね〜みなさま。

そうそう、熱中症は温暖化のせいだ、とかいう方いらしゃいますけども、温暖化ねぇ。そんなもの、これ、中部大学の武田先生が全くもって、当然のことをおっしゃっておりました。道路はアスファルトになり、緑は削られ、高層ビルが増え、エアコンが装着され、などなど、都市の温度が上がるのは当然のことで、温暖化のせいという前に、都市設計のせいというべきだ、と。

す、素晴らしい!すっかり私などは、武田先生のファンになってしまいました。

異なる目線を常に持つことの重要性を気付かされます。


そろそろ本音を言っても怒られない時期になったようですよ、皆さま。

皆さん そろそろホンネを語りませんかねぇ(2/3)

2020/8月の話

 

実は新コロについて、誰も知らない。わかっちゃいない。

 

そう、この新コロについての議論がどこまでされているのか、実は、全くと言っていいほど、市井には情報がありません。その理由について、特にテレビについては、二つの要素があるとお気づきかと思います。


1.視聴率優先?


2.利権のしがらみ?

 

まぁ、おおかた予想通りです。

本当かどうかは確認のしようもありませんが、私もそう思いますし、

そう思わざるを得ない事象(事実関係)がありますから。

 

例えば視聴率、テレビ局又は番組制作責任者は、視聴率が命ですから、もし、それを稼げる構図があれば、それにのっかるのは自然なことでしょう。

新コロ騒動で、特定の専門家が、政権批判や体制批判をして、表層上の視聴者の心を掴み、視聴率が上がれば、どんどんそれに乗っかります。しかも専門家が言っていることですから、発言の責任は製作者(自分)にはありません。政府の政策(確かに愚策ではありますが)や、役所にまつわる連携の悪さを非難する専門家と称する専門家はいったい何の専門家なのでしょうか?

まぁ、番組制作者サイドとしては、その人らの発言でガソリンが投下され、

視聴率がボンボンと上昇すれば、最高ですね。

 

そして、利権のしがらみ

〇〇大学とか〇〇病院の先生たちは、その殆どが、自分の所属機関と政府や関連機関や企業と利害関係にある要素について突っ込んだ話が出来ない訳でして、そういったコメントを求めるのは気の毒なことだと思います。

また、最新の研究については、これは国家間競争ですので、その結果や実験の大事な部分は、一般に漏れ出ることはありません。

製薬会社にとってはトップシークレットであり、莫大な利益に結び付くことですから、そういった情報に関しては恐らく何年もたってから、人々が、新コロってあったね、って過去のことになったころにひっそりと発表されることはあるかもしれませんが、今の時点で、公開できる情報とは話半分程度に思っておかないといけません。

 

ですので、結局のところ、我々は、新コロについて、実は何も知らないのに、

怖い怖い

ヤバいヤバい

と言っている人の話を真に受けて、とにもかくにも

新コロはやばい、怖いという答えに着地してしまうのは、本当にヤバいし怖いことです。

 

新コロの何がヤバいのか?何が怖いのか?

 

これについて明確に言える人、どれくらい言えるのでしょうか?

自分でも、反証というか、反問してみて、それに対する答えを考察すると、実は怖いと思っていたその理由が、テレビで言っていただけの事で、その怖さについての考察がされていないという事に気づくことが多くありました。

 

もっとも代表的な考察はこれです。自問自答を込めて、記載してみます。

 

 

新コロに対応するワクチンや薬が無いではないか!

 

はい、確かに。

では、「毎年流行する」インフルエンザについてどうでしょうか?

予防接種も薬もありますね。(医学的な作用についてはおいといて)で、にもかかわらず、年間で、約3000人が死亡しているという事実があります。公式に発表されております。

関連死をいれると、1万人以上はいると言われれております。

はて?では新コロはどうなの?

つまり、薬とかワクチンがあろうがなかろうが、そういう事実に対して、どう解釈してどう行動するのだ?ってことです。

 

さらに驚いたのは、餅をのどに詰まられて亡くなる方が1300人という数字。

じゃ、餅を食うのを禁止するか?ってことですよね。


いったい日本人はかくもナイーフで

かくも他責思考で

かくも奴隷体質なのだろうと感心します。

 

日本人の死因1位のガンや他の疾患、自殺だって、今の新コロの死亡者数よりも多いです。これについて、新コロだけを特別視するのはおかしいと思いませんか?

そもそも新コロ用と称する薬があれば怖くないという思考は既に、何かの価値観や基準を押し付けられてはいませんか?

屁理屈だ!と言われる方がいらっしゃるかもしれませんが、冷静に考えれば新コロのワクチンや薬が無いことが直接怖い事に繋がらないという答えになると思いませんか?

 

 

 

 

重症化したら怖い

 

そうですね。重症化したら・・・・で、重症化した人たちの共通点やプロセスを考察した結果をもっと公表するべきです。(もしかしたら、秘密なのかも)

ほぼ高齢者であり、かつ何らかの疾患を持っておられた方。

20代でも1名いらっしゃるのですがこの方は恐らくお相撲さんだと思われます。

当初、基礎疾患は無いと報じられておりましたが、のちに、糖尿の疑いがあることが言われております。

なぜ、疾患のある方が重症化するのか?という点については、

これがインフルだったらどうなのか?とか、

新コロ特有のものなのか、どうなのか、

重症化のプロセスについて考察を進めるべきです。

 

実際、日本の死亡者数の低減には、治療のプロセスで、血栓ができるのを早期で予防することが判明していたため、これを想定して、それが功を奏しているという説が有力です。

(確か 大阪大学が発表しています。大阪大学は漢気あるチームですね)

日本で死亡者数が低いのは、医療従事者のスキルとモラルが飛びぬけて高いというのも間違いない事実です。

よって、基礎疾患のある方は怖いことだと思いますが、

若い人であれば、回復の見込みがあること、

一方、お年寄りは、確かに怖いことになるのですが、

この場合、新コロが怖いというより、

いろいろ怖いリスクがありますよっていうことかと。

つまり、病院などでは面会制限が必要ですし、同居されている方は、

注意深く生活する必要があるということで、

一律に怖い怖いというのとは違いますよね? 重症化についてよく知らないのに、怖い怖いというメッセージだけを丸のみするのにも違和感があります。

 

 

例 無症状の感染者

 

無症状の感染者という定義をどう捉えていいのか、これには日本語の曖昧いさとPCR検査の解釈の曖昧いさが重なっていると思われます。(私たちの印象のせいですかね)

 

まず、PCR検査で妖精と判断されると、それはすなわち、感染者というレッテルを貼られます。そもそもこれが、怪しいのですけど。

PCRで「それっぽい」ウィルスを検出はしたけども、その人が感染したかどうかの判定基準や、また、発症したかどうかや、疾患上定義を曖昧のまま、陽性者=感染者=アウトの人

という図式が自動的に構築されてしまいました。

PCR検査っていうのは、時間をかけて、ウィルスを増幅するので、わずかのウィルス数であっても、検出できるそうです。しかし、精度が、良くて7割程度。

で、PCR検査で、分類されるのは実は4タイプいるという事実。

妖精と院生の2タイプだけではありません。

妖精 偽妖精 偽院生 院生の4タイプが存在するわけです。

本当は、この精度を確認するには、

例えば完全なる同一条件の(又はそれらしい条件の人ら)

感染・発症中の者1000

感染の疑いのある人 1000

やや感染の疑いのある人 1000

人里離れた感染の疑いの無い人1000

とかの

それぞれ、唾液による、鼻粘膜による、タン、便などによる

などと、採取場所と症状とを分けて、PCR検査実施して、

初めて新コロのPCR検査装置の精度について議論できるわけです。

(これに近い実験は何例が報告されてはいるようです/////)

 

今は、PCR検査装置の精度については、新コロではなく、過去の実績で、

概ね7割、妖精について95分程度は「当たっている」と言われていおります。

で、実は感染せずに、単に、唾液や粘膜に新コロらしきものが付着していただけかもしれない場合、

PCR検査はこれを妖精と判定してしまうのです。


これは、無症状の感染者ではなく、無症状の「ただの人=健常者」です。

しかし、レッテル貼られた人は冗談ではすまないくらいダメージがありますね。

本当に、今のやり方、PCR検査の目的が何なのか?という点について、PCR検査推進者は、答えられるのでしょうか?

 

先月でしたでしょうか?Jリーグで妖精者が2名出たのですが、Jリーグ機構はPCR検査を2週間に1回実施していました。その2週間の間に感染してしまった、ということで、

PCR検査をしたからといって、感染が防止できるという訳でもないということが証明された訳です。

PCR検査装置にまつわる様々な問題点は既にインターネットには多く出ており、

また、その解釈についても、科学者らが、正しく述べておられるので、私がとやかくいうこともありませんけども、昨今の報道などを聞くと(都内の某区でPCR検査大々的に実施とか)いったいどうしたことか?

この発言をする前に誰かに相談しなかったのか?

いや、相談したんだろうけど、何でそれをやるのか?

分かっているのか?と、とても、心配になってしまいます。(大きなお世話ですかね)

上に立つものをフォローする人がいないのでしょうか、この某区は。

 

こういう某区の暴挙?がまかり通るとしたら、それは、今後あちこちで、起こりえる訳で、

その都度、とんちんかんな、そして、税金と労力、今風にいうなら、社会的リソースを無駄使いしてしまうということになります。

 

我々市井の者には関係ない・・・・・・と逃げてしまいたい衝動にかられますが、

私たちは、今後も、新コロからは逃げることは出来ませんので、その都度、最良の選択を継続していかなければなりません。


本当に怖いのは、自分の頭で考えることを放棄することと

マスク警察です(笑)


続く

 

皆さん そろそろホンネを語りませんかねぇ(1/3)


2020/08の話

いったいどうしたというのだろう?

 

この国に科学者は不在なのだろうか。

それとも、真の科学者は封殺され、

偽者が跋扈しているというのか?

 

その偽物が、自分は本物だ、と誤認識しているのか、

それとも、自分は偽物だと理解しながら偽っているのか、

そのどちらでもなく、無自覚なのか、それは分からないですが。

 

我々の常識としては、

少なくとも、学者というのは、その業界で訓練され

人としての良心と、学者としての矜持を、それぞれ掛け合わせたものを持ち、

社会に対してその知識と結果を還元していくものだ、

という認識ですが、そんなものは無かったというのでしょうか。

 

今マスコミに出てくる科学者と呼ばれる人たちは、

私が思うところの、科学者としての資質を持ち合わせていない、

と感じるわけですが、それは皆さんも同じではないでしょうか。

 

 

 

数字(数値)をそのまま発表する。

 

うーむ・・・・確かに。数字は真実だろ?

って、おいおーい・・・・

 

その数字をどういう手法で得たのか?

その数字を得たときと今とでは何が異なるのか、

その数字に含まれる背景の影響性は無視できるのか否か、

など、

一つの数字をとってみても、下手すると、全く逆の方向に

進めてしまうことだってある訳です。

であるからこそ、その数字の解釈については慎重になるし、

検証も考察も実験も必要な訳です。

本来、科学者はそういうことを最もよく理解している

カテゴリに属するはずです。

そう、我々市井の者よりもより慎重に、

また所謂世論などというものあるのならば、

科学者にはそのバランサーとしての役割が必ずあるはずですが、

果たして今の状況をみてみるとどうでしょうか。

 

今の新コロ騒動の「騒動」の部分に、ぼんぼんとガソリンを投下しているのが、

その科学者であるというのは、これはいったいどういうことなのでしょうか。

 

市井の良心に基づいて想像するならば、

普通の科学者は、マスコミ(特にテレビ)については、

その発言などを使用者側に都合のいいように使われるという

危険な側面があるということを理解していないのではないか?

と思うのです。

 

一方、極悪?な科学者は(そんな者がいることを証明は出来ませんけども)、

それを利用して、利益を誘導することさえ考えるかもしれない。

 

(まぁ、映画に出てくるようなマッドサイエンティストという場合も・・・・確か、アメリカの統計では、25人に1人がサイコパス、又はサイコパス気質があり、これまた、知能としては優秀であり、それなりのポジション(医者や弁護士など)についているという報告もあるくらいですから)

 

 

まさか、そんな?!

はい、その まさか そんな・・・・です。

 

我々庶民はそんな極悪な事、あり得ないと思っているし、

小さな良心の積み重ねと持ち寄りで成立している市井という

領域からすると、とても理解し難いことかもしれませんけども、

テレビに出ている人らや、世の中を構成する部位に一枚噛んでいる者らが、

そういう良心に基づいた行動や発言をしていると、

こっちが勝手に思い込んでいるだけで、そんな保証は一切ないですし、

何かあっても、そいつらが我々の面倒を見てくれる訳ではないのです。

 

ですから・・・・・・

 

テレビで言ってたじゃん!なんて、何の理由にもなりません。

 

テレビで言っているから、とか、

誰それが言っているからとか、

新聞に書いてあったとか

そういうのは、1つの情報ではあるけども、

単に要素としてみるに留めるべきです。

甘受してはならないということです。

 

 

もう一つの要素 インターネット

 

そうです、もう一つの要素・インターネットです。

いわゆるしがらみの少ない科学者はインターネットで

発信をしている人がおります。

今ある状況を観察するうえで、バランサーとして、

このインターネットにある、反対側にいらっしゃる方々の意見を

よくよく考察しなければ、我々市井の人間は、途方にくれることになります。

もっとも、途方にくれることもこれまた人生、

という方もいらっしゃるでしょうから、それは否定しませんけども、


家族や友人や会社やコミュニティや、自分ひとりではない場合は、

少なくとも、自分の周りは守らなければならない場合や、

決断を迫られる場合は、そういったバランサーの意見も十分に

考察しておくことで、心構えがしやすいと思います。

 

インターネット上で、いわゆる旧来マスコミとは反対の意見が

どんどん削除されているという事実を目の当たりにして、

ああ、このインターネットという場においても、

言論の自由などというものは幻想に近いものだというのもわかります。

しかし、削除されても、されても、発信し続けるということも可能なわけで、

そういう方は、科学者の矜持というものを持ち合わせていらっしゃるんだと思います。


続く////