今さらデザイン思考
そう、今さら。
というか、わざわざとお避けていた節もあったわけだが、
「デザイン」と云う言葉は、実は論理的だったり、科学的だったりするわけで、
そういう側面があるのに、素通りしていたんだよね。
今回、強制的にというか、自らというか、そういう思考にチャレンジすることになった。
物事を特定のロジックをもとに考察する。
その際、最も難しいのは自分の感情、経験、諸々の配分をどのようにコントロールするのか、ということ。
これが難しい。
今さらデザイン思考
この歳になっても気づかされることばかり。
ビデオレンタル、
DVDレンタルが活況だった時代、
そのユーザにどうなれば便利ですか?って聞いたら、
自分のアパートの下がツタヤだったら、とか、
DVDの返却が簡単だったら、とか、そういう視点しか無かった訳だ。
事実、ツタヤは返却ボックスでそれを対応しようとした。
そして、深夜まで営業していたり。
で、どうなったか、通信環境と映像がデジタル化されたことと、機材の対応により
今は、ネットで配信されている。しかも、サブスクリプションだと。
ユーザの意見は、今を知ることはできるが、
未来を推察することはできない。それには別の考察が必要な訳。
こういう事象を分析する論理がすでにあって、それらを含めてそのプロセスをデザインする。
これをデザイン思考と呼ぶわけね。
実に面白い。
これ、学校でこういう授業やったら、めっちゃハマるなぁと思う。
マーケティングなどもそういう手法を使っている訳で、そりゃ、仕掛けがある訳です。
最大効果を狙う、損失を最小にする、成長を最大にする
こういうことをやろうとすると、
そんなことやっても無駄だとか、意味ないとか、そういうマイナス思考の発言をする奴は、正直言って、面倒な訳。
失敗した時に、ほれ見たことか、とか、結果を批判する。
どうせできる訳ない、で、出来なかった者を批判する。
どうやったら出来るのかを考えよう、という発想にならない。
嫌なら辞めろ。という本が昔あったと思うが、その本を渡したいね。
文句ではなく、意見やプラン、論理を言えと。
感情に生きているやつとは、できるだけ関わりたくないものだ。
同じ場所に留まって生きるという道もあるだろう。
でも、僕は、大変でも新しい領域にせめてつま先だけでも動かして
数センチでも動き出そうよ、未来のために、後輩のために。