2022年1月22日土曜日

ゼロ○○○を目指す ウマとシカの輩

ゼロリスクを求める馬と鹿の脳を持つ輩と
ゼロコロナを目指す馬と鹿の脳を持つ輩は同じ分類なのかもしれない。
僕の経験から推察して、どちらの輩にも共通な点は、傾向としての「ヒステリー」の出現である。
ヒステリーって、解離性障害というらしい。

要するに自己矛盾などからの精神乖離から来る不安を払拭するための感情の一種であり、自身の安全圏を確保するための情動ってことか?

上記であれば、ゼロ●●●でなければならない。
という「こうでなければならない病」に罹患しているってことだ。
それを求める自分であることこそが、自分の存在を確かなものにしていると錯覚していると思われ、「●●でなければならない」部分に、実際のギャップ(感情)をぶつけ、攻撃する。
攻撃している自分は正しい領域に自動設定されるから、自分は正しく確かな存在になるというこの構図。

今、世間は、そういう点では集団ヒステリー状態だと思う。

それが、ムードとして成立した今、全ての人は居心地の良い状態にはまり込む。

こういう現象は、きっと過去来もあったはずだ。

そう、戦争だ。
だって、冷静に考えてみて欲しい。金属の弁当箱まで
供出して、ゼロ戦や什器の材料にしたり、どう考えても
総玉砕なんて、指導者ならば絶対にやらないだろう?
おかしいよね?って思うだろう?

この子らの未来のために命をささげることに躊躇なく
旅立ってしまう若者を前に
いったい指揮官はどうするべきだったのか?と。
この戦いを止めるという決断を下すことが出来なかったのは
他でもない、集団ヒステリーではないかと思う。
「正常」の置かれる位置が完全に反転してしまい、正常にとどまろうとする力は、実は異常なベクトルに向いていたという不一致に、ほとんどの人が気づかなかったのだ。

それで良いのか?

だって、仕方なかったんだよ・・・・っていう言い訳をすることを前提で、その言い訳を使う準備万端で、いいのか?と自問自答すれば、やはり現状はおかしいよね?っていうの
もしかして、僕だけ?

ゼロリスクを求める馬と鹿の脳を持つ輩と
ゼロコロナを目指す馬と鹿の脳を持つ輩とは、同じグループで、この方達とは、僕は相容れないなぁと痛感する。

でもね、別にいいのよ。
僕はべつに「ゼロ馬と鹿」をめざす、●●●でなければならない病には罹っていないからね。
そういう人がいてもいいじゃないの(笑)、その方達の自由は
守られるべきだもんねぇ。当然、僕らの自由も守られるわけです。


0 件のコメント:

コメントを投稿