2022年1月2日日曜日

正常性バイアスと洗脳と

自分のみならず、他者の為に、社会安定のためにも、
というゴールや大義名分が、いつの間にか設定されたこの2年間の常態において、
ワクチンを勧めることも、自らのワクチン接種も、さらには
子供や他者へこれを勧めることは、
もはや、正義であり、全くもって「正常な考え」となっております。
(と思っているはずです)
ですので、その意志の強さは、ここで、ワクチンに疑問を呈してコメントしている
私たちと同じくらいに固く、その考えを他者が変えるというのは
とても難しいことと思います。

もはや、思想、宗教化しているわけですよね。

どなたかもコメントされておりましたが、
私たちの方が、おかしなカルトに洗脳されてしまった
気の毒な少数派と思われている節もあり、
いつの間にか、奇妙な位置に自動的に設定されてしまいました。

それこそが、ワクチンを推進したい勢力がいると仮定するならば、
好都合なわけですが、それについて追求していくと
陰謀論の類に分類されてしまうので、注意が必要です。

これらの奇妙な日常に抗うには、とにもかくにも冷静に、慎重に
感情を少し差し引いて行動するしかないだろうと思います。

たけし社長の意見広告のように、厚労省データなどの
公知のものや、身近なものに焦点を合わせるなど、
相手側が受け入れやすい情報に焦点を合わせる必要があります。
相手が受けれ入れやすい要素を可能な限り会話の中に用意し、
多くのYESを引き出す必要があります。
(それって、営業トークと同じですね。)
そういう点では、河北新報の各記事は非常にありがたい、
客観資料として一石を投じることができる貴重な情報です。

あくまでも私の経験ですが、
いろいろな情報を時間をかけて、説明しても相手の考えは変わりません。
それは傲慢なことだと気づかされました。
(単に、やり込めていただけだったのです)

もし、相手が変わった場合は、相手が自ら変わったわけで、
きっかけをこちらが作ったに過ぎません。
では、それは無駄なことなのか?というとそうではなく、
相手を認識するということは、自分(こちら)の位置を再認識する手助けになります。
それと、二者間の視点の他に、他の角度からの視点に、こちらが気づくこともあります。
相手が変わらないように、私も変わりませんが、視点を変えることは割と容易に可能です。
ただし、ここでのポイントは、感情を差し引く必要があるという点です。
感情に埋もれてはいけないのです。
こうでなければならない、こうあるべきだ、という思想を突き通そうとすると、
相手も同じような理屈で感情が存在するので、ぶつかり合うだけです。
実にけしからん!(怒)と、感情が立ってしまいます。

で、実は僕は、
他者の思想を書き換えることは、不可能だと思っていて、
例えば、独裁者になるか、洗脳しかないのだろうなあ、と。

まあ、このうち独裁者については、内面を変えるわけではなく
行動を制限する、外見を装うということで体裁をとるわけですが、
今現在の数の原理でいくと、このままいくと
常態(日常)が異様な位置に設定されてしまったため、
まるで、私たちの方が、独裁者の元、全体主義の中に組み込まれた
異分子の役回りになってしまうことに気づきました。

つまり、私(たち)の意見を尊重するのと同じように相手の意見も
容認しなければ、どちらにしても、奇妙な全体主義の中に埋没してしまう気がするのです。
非常に、気持ち悪い感覚なのです。
ですので、私(たち)はこういう理由で、こういう考えである、と表明し行動し続け
その領域を確保し、意見を言い続け、一つの防波堤や突起のような役割を担うことしかないのかなと思うのです。
パートナーや親しい人が自分と同じ考えでないこと
それも健康を損なう可能性があること、、普通なら、そんなことを容認できるわけない、
という状況で、
そうか、あなたの考えは分かった、私とは考えが違う、でも、そういうこともあるって位置に
一旦立ち戻り、お互いにフラットな位置になった時に、
もしかしたら、相手の視点が、少しずれる可能性はないのか?と思うのです。
これなどは、勤務医さんがおっしゃっていた、オミクロン用のワクチンが開発されるまで
待ってみる、というのは、非常に有効な考えだと思います。実に素晴らしいです。

正常性バイアスは、正常性が何処に設定されているかによって、変わるもので、
ワクチンなんて打つ必要は無い、大丈夫という位置に留まることを正常性バイアスとは言いません。今、打っている方らこそが、正常性バイアスの中でワクチンは大丈夫、安全だから、
自分だけは大丈夫、なんとくみんな打っているから大丈夫という
これこそが、正常性バイアスです。
ワクチンに懐疑的な少数派に向けて正常性バイアスがどうのと言っている人は誤った引用です。

それにしても、最初にショックを与えて、選択肢を自ら選んだように誘導するという
この状況は、心理操作(営業マン)のよくある手法であり、私のような素人でも
気づく話なのですが、気持ち悪いのは、そういう指摘をする方が、
表に出て来ないことが、とても気持ち悪いのです。
そう考えると、今の状況は、巨大な洗脳が蔓延しているという気がします。


2 件のコメント:

  1. 正常性バイアスって危機に際して鈍になってしまうというネガティブな意味で使うのが正しいんでしょうね。
    「正常」って言葉が入っているので、ポジティブに解釈する誤用が多いようですが。


    40年くらい前にオーストリッチシンドロームというものを聞きかじって面白いなと思いました。現在はダチョウ症候群で検索しても中々出てこず、人間には比喩的な意味でした適用していないようです。

    プログラムの世界では「発生頻度が低く、対策にコストがかかる問題をあえて無視する」というダチョウ・アルゴリズムというのがあるようです。

    コロナ騒動の話に戻ると、恐怖に訴えるのと難しくて面倒くさいことは勉強したくない、という心理につけこんでますねぇ。結果的には。

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  2. ねこだるまさん こんにちは!
    コメントいただき、ありがとうございます。
    そうなんですよね、正常性バイアスって、危機に対して、鈍になるんです。
    ただ、危機の設定が、世の中逆になっっているんですよね(笑)

    ダチョウアルゴリズムですか。
    調べてみます。
    プログラムに限らず、発生頻度が低い問題は、
    問題をゼロにしようとはせず、発生した時の対処方法の効率化を
    考えておく、というのは、
    常に、私も職場で考えなけれなならないと思っております。

    >コロナ騒動の話に戻ると、恐怖に訴えるのと難しくて面倒くさいことは勉強したくない、>という心理につけこんでますねぇ。結果的には。

    そうなんですよねぇ。結局、その人次第なんですよね。
    僕は心のどこかに、それでも響かない人は、ほっとこう、打ちたい人は打てばいい
    という気持ちもあるんですよね。
    でも、それを口にした途端、僕自身の領域を削られれていく感覚があるので、
    なんとか踏ん張ろうと思っております。

    コメントありがとうございます。
    世界のゴー宣ファンサイトでも、また、宜しくお願い致します。



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