2021年7月25日日曜日

自由にやらなければならないという不自由感

先日、とある講義を受けた際、講師の先生が面白いことをおっしゃっておりました。

先生は、就活中の大学生ら、あるいは高校生などとも会って話をする機会が多いそうですが、彼らは非常に不安感を抱えていると。
それは、どういうことか?と。

我々世代が受けていた教育とか思想とかテレビやマスコミも含めて、
ある一定の「こうあるべき」とか「こういうのが普通」とかお手本とか
拠り所となる基準のようなものが社会にはあって、
その基準に対して、自分はどうだ、こうだ、ああだと
自分なりに方向性を決めていたのだが、
今は、自由だ、自分の好きなこと、自分色を出して、とか
個性を大事にとか 世界に一つだけの花とか
とにかく自分という個人を中心に世界を描こうとする故に、
非常に不安定、不安感があるのだというのだ。

なるほど、それは、確かにそうだろう。

自由にやれ、と言われて
自由にドラムを叩けるやつ
自由に好きな絵を描けるやつ
自由に世界を旅するやつ
自由にビジネスを始めるやつ
そういう個を確立する者は稀だろう。そういう天才肌の者を基準に
自由にやれっていうのは、大人の無責任な押し付けにすぎないではないか。

しかし、今の世の中は、そういうのが正しいということになっている。
よって、学生たちは、不安感が半端ないということらしいのだ。

空気を読んだり、価値観のせめぎ合いをするくらいなら、
いっそのこと、ルールをガシッと決めてくれということらしい。

うーん、面倒くさい・・・・・・。
そういう教育や社会的背景で育ってきたので、しょうがないんですね。
ある意味、気の毒な時代だと思います。

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