2022年7月7日木曜日
2022年7月6日水曜日
2022年7月2日土曜日
デザイン思考
そう、今さら。
というか、わざわざとお避けていた節もあったわけだが、
「デザイン」と云う言葉は、実は論理的だったり、科学的だったりするわけで、
そういう側面があるのに、素通りしていたんだよね。
今回、強制的にというか、自らというか、そういう思考にチャレンジすることになった。
物事を特定のロジックをもとに考察する。
その際、最も難しいのは自分の感情、経験、諸々の配分をどのようにコントロールするのか、ということ。
これが難しい。
今さらデザイン思考
この歳になっても気づかされることばかり。
ビデオレンタル、
DVDの返却が簡単だったら、とか、そういう視点しか無かった訳だ。
事実、ツタヤは返却ボックスでそれを対応しようとした。
そして、深夜まで営業していたり。
で、どうなったか、通信環境と映像がデジタル化されたことと、機材の対応により
今は、ネットで配信されている。しかも、サブスクリプションだと。
ユーザの意見は、今を知ることはできるが、
未来を推察することはできない。それには別の考察が必要な訳。
こういう事象を分析する論理がすでにあって、それらを含めてそのプロセスをデザインする。
これをデザイン思考と呼ぶわけね。
実に面白い。
最大効果を狙う、損失を最小にする、成長を最大にする
こういうことをやろうとすると、
そんなことやっても無駄だとか、意味ないとか、そういうマイナス思考の発言をする奴は、正直言って、面倒な訳。
失敗した時に、ほれ見たことか、とか、結果を批判する。
どうせできる訳ない、で、出来なかった者を批判する。
どうやったら出来るのかを考えよう、という発想にならない。
嫌なら辞めろ。という本が昔あったと思うが、その本を渡したいね。
文句ではなく、意見やプラン、論理を言えと。
感情に生きているやつとは、できるだけ関わりたくないものだ。
決められない大人たち
いっちょまえの顔をして、やっているような素振りをして
実は、自分では何も決められない人、
誰かのせいにして、自分を除外する人
政府のせい、社会のせい、世の中のせい、会社のせい、上司のせい、部下のせい
そこに自分はいない。
自己開示をしないで、他者の批判ばかりをする。
しかも、転んだ相手に向かって「転んでやんの」とか
「転ぶなんて馬鹿だ」とか
「転んでいいと思っているのか」とか
転んだ結果(変えられない結果)について、相手を非難するという卑怯なやり口。
こういう輩は、正直言ってクソだと思う。
いろんな輩がいるというのは理解している。
できるだけ、そういう輩にエネルギを吸い取られないように気をつけよう。
2022年6月7日火曜日
さぁ、投資しよう!
2022年6月5日日曜日
世の中には、あんぽんたんも、一定数存在するのだ。
男なんだから頑張れ
社会人なんだから頑張れ
なぜかというと、その立場、役割において、どうしてもやらなければならない事があるはずで、それは、身体的特徴かもしれないし、経験や立場による違いかもしれないけど
その状況において、頑張れっていうのはありだ。
でもですね、相手の気持ちを考える事が出来ない人や、自分に置き換えたり、自分の頭で考える事が出来ない人は、
○○のくせに、何やってるんだ!?
○○のくせにそれでいいと思っているのか?
こういうしょーもない問いかけをする人がいる。
はっきり言おう、こういう人は
実は、yesと言ってもnoと言っても、ドツボにハマるように構成されているのだ。
相手に、怒りをぶつけるのが上手はあんぽんたんは、
相手にしてはいけない。
やってみるのも良いのではないか?
未経験な事にチャレンジするのは
もちろん、
チャレンジしないという選択肢もある
この先に、
チャレンジしている人を
チャレンジしない奴らが非難する。
ときには、人格攻撃したり。
無責任の塊。
目の前に、自転車がある。
自転車で、転んだらどうすんだ?
事故ったら、どうするんだ?
傷ついたら、血でたら、
自転車にお金をかけて、時間を割いて、
失敗したらどう責任取るんだ?と。
は?
じゃ、自転車には、乗らないで、
歩いて行って、野垂れ死にするの?
いや、「歩く」ならまだいい方だ、
しかし、
否定者は、そこに留まろうとする。
そして、動こうとする人たちを非難する。
このままでいい、今までそれで良かったのだから、
人生は、経験だ。
と思う。
身体で体験する
脳で思考する
その二つを組み合わせて行動する
そういう事を素直に応援したり、実践したり
助け合ったりするのって、人として、当たり前だと思っていたが、
そうでない人が、いるという事に唖然とする。
まあ、それも僕の経験か^_^
しかも、それって会社あるある事項ですよ、
と、
諸先輩から言われて、
なーんだ、普通の事か、
と
妙に落ち着く。
良かった・・・・・(笑)
確かにね
全員と共感してたら、
2022年5月17日火曜日
世の中、いろんな人がいるという事実を。
○○でなければならない病の人 多い。
そして悪い人、悪人ね、
で、こちらが思っている常識の根底が全く異なる人
良心の無い人、そういう人が一定数混じっていいるという事を脳みそがお花畑の人は
認めないんだな。
まぁ、そういうお花畑の人も混じっているのが世の中そのものなんだけど。
あるいは、時にはマクロレンズで接近観察とかさ、思考の視点は何ら制限される事は無いのだよ。
そういうのも俺からしたら、お花畑の人なんだな。
放っておけばいいのだろうが、そういう人は大概は俺のようなちゃらんぽらんな人格
何とか矯正してやろうとか、単に、非難したりする。
だから言ったじゃんと言ってはいけない
だから言ったじゃん。エアロゾル感染。
いや、意味があるとかないとかどうでもいいのです。
信じるものがして、信じない者はしない。
それだけのこと。
明らかに体調不良で、ゲホゲホしている人はマスクした方が
風速の減衰、バッファーの役割はするが、マスクでどうのこうの
議論すること自体無意味。
先日のニュースで、日本医師会のお偉いさん、ゼロコロナを標榜しているようだが、
この方は、中共ですかね?何なんだろう?
そして、白痴なのでしょうか。マスクが本当に感染防止するなら、その人がマスクをつけていれば、感染拡大しないわけだ。しかし、マスクをしていても感染は拡大している。伝搬している。
換気は、CO2濃度は、500台だ。パテイションもある。
とにかく、私は意味は無いと思ってはいるが、意味があるという人たちの意見を容認し、それらを実行しているわけであるが、
その結果どうなったのか?
ワクチンの有無も関係無い。
思わず、だから言ったじゃん!と言いたい衝動にかられるわけだが、
それは言ってはならない。
で、それが失敗なのか、何が起きたのか、どこでどうなったのか、
ナイスな経験をした、素晴らしいプロセスを経験できた、
さて、どうする、これから?っていう
祝福の構図に持ち込もうではないか。と。
2022年3月17日木曜日
「そろそろ5類引下げ議論をしてもよいのではないか?」
これまで何度もその機会があったが、その都度情報が錯そうしていた。
情勢を眺めると、単純な右か左か上か下かの議論ができる構造ではなく、例えるならば、ルービックキューブのような構造になっている。
要するに、ものごとは立体であり、その一面もいろいろあり、まさに色々だ。
仮に、ある一面を同色で揃えても、他者と比較した際、右隣りはどっち?何色?と、双方で逆転現象を起こしていたり、或いは一面のある点について論じていたら、その点は、双方において、中心だったり端の角だったりと、異なる点を注視していたり。
各人の情報のキューブを手に、同じ話を進めることは、実は大変に難しいというのは、そろそろ肌感覚として、我々市井の者も感じ得ていると思う。
新型コロナについては、徐々に分かってきたこともあれば、未だに分からないこともある。
ただ、科学という一面においては、一定の情報が集まっており、多論・異論を論じることは出来るのではないだろうか。何しろ、今までも一辺倒・一色の議論しかなかったのだから。
ここで、5類にすることで、どんな不具合があるのか、どんな利点があるのか?
情報のキューブを私たち自身が整理し、得られる効果や損失持続性や事象への俯瞰的視点をもって、議論を開始する準備は整っているのではないだろうか。
そもそも、そんなことは、我々市井のものには関係ない、専門家が考えればいいなどと、判断を丸投げしてきた結果が今なのだから、もうそれは出来ない。
誤解を恐れずに言うならば、専門家はその筋の専門家ではあるが、他分野では素人である。であるからこそ、各分野の専門家の知見を集めて、これらを総合知として情報のキューブを構築していく必要があり、そのための世論と政治力が必要なのだと思う。
我々はこの二年について、どう落とし前を付けるのか、子供らに何と言い訳をするのだろうか?大人として責任を放棄せず、良心と矜持を発揮するべきではないだろうか?
趣味はなんだろう?
趣味はなんですか?と聞かれ、思わず、答えに詰まる(笑) あれ?俺、趣味無いじゃん、自転車も、バイクも、載ってない。ウォーキングもしてないし、腕時計ももはや趣味と呼べるレベルとは言えないだろうしなぁ。 趣味とはなんぞや? AIによれば、仕事や勉強以外で、楽しいと思えることで、自分...
-
パルックボールEFD13UEL 切れました。 で、この球を買おうと思ったら、もう売ってないでやんの・・・・/ そりゃそうだよね、これ、11年前(2002年に設置)の球です(汗) 最初、ホームセンター行ったんだけど、主流はLEDだし、同型番無いし、 ...
-
この、駆使団子 (iPhoneの変換第一候補) いや、串団子、 子供の頃 先のカステーラと 二分する強烈な記憶。 確か、昔(40年近く前)は、 とんでん団子という 商品名または、 会社名だったはず。 CMのフレーズも覚えているし。 20年以上前に ...