これまで何度もその機会があったが、その都度情報が錯そうしていた。
情勢を眺めると、単純な右か左か上か下かの議論ができる構造ではなく、例えるならば、ルービックキューブのような構造になっている。
要するに、ものごとは立体であり、その一面もいろいろあり、まさに色々だ。
仮に、ある一面を同色で揃えても、他者と比較した際、右隣りはどっち?何色?と、双方で逆転現象を起こしていたり、或いは一面のある点について論じていたら、その点は、双方において、中心だったり端の角だったりと、異なる点を注視していたり。
各人の情報のキューブを手に、同じ話を進めることは、実は大変に難しいというのは、そろそろ肌感覚として、我々市井の者も感じ得ていると思う。
新型コロナについては、徐々に分かってきたこともあれば、未だに分からないこともある。
ただ、科学という一面においては、一定の情報が集まっており、多論・異論を論じることは出来るのではないだろうか。何しろ、今までも一辺倒・一色の議論しかなかったのだから。
ここで、5類にすることで、どんな不具合があるのか、どんな利点があるのか?
情報のキューブを私たち自身が整理し、得られる効果や損失持続性や事象への俯瞰的視点をもって、議論を開始する準備は整っているのではないだろうか。
そもそも、そんなことは、我々市井のものには関係ない、専門家が考えればいいなどと、判断を丸投げしてきた結果が今なのだから、もうそれは出来ない。
誤解を恐れずに言うならば、専門家はその筋の専門家ではあるが、他分野では素人である。であるからこそ、各分野の専門家の知見を集めて、これらを総合知として情報のキューブを構築していく必要があり、そのための世論と政治力が必要なのだと思う。
我々はこの二年について、どう落とし前を付けるのか、子供らに何と言い訳をするのだろうか?大人として責任を放棄せず、良心と矜持を発揮するべきではないだろうか?
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