何人の人から、急にとか
「奇妙」なことを言われる。
そりゃ、初めて発表されるのだから急なのは当たり前。
自分の決めごとに、誰かに相談するというのは、
今回の場合はあり得なかった。
「お呼びでない」こらまった失礼しましたっ!
って思ってしまったし、事実わざわざ人格否定されるようなことに
それを容認したりすることは、僕自身あまりにも気持ち悪すぎたし、
伝わらないばかりか、何言ってんの?って言われたときには
僕自身、はっとさせられた。
あら?俺だけ外れたことを言っているんだ。
みんな正論を言っている。ど正論を言っている。
こういう視点でこういう解釈をすれば、こういうことも必要だと判断したとかね、
そんな話は全く通じないことが分かった。
ああ、
そうか、およ、およ、お呼びでない・・・・(笑)
植木等みたいに、こらまった しっつれいしやした!と。
そこに書かれてるメモリや単位や数え方は、その時の状況によって変えてもいいのだ。
ポイントは、なぜそうしたのか、そうした方が、どれくらいこんな良いことがあったぞ、とかそういう効果を狙っているとか、あったとか
だから、今回はこうしたのだ、という構造が可視化されてさえいればいいのだ。
実に簡単かつ合理的。
定規は固定ではないのだ。
別に命に係わることじゃなし、それを守らないことを咎めたり、そのことを糾弾したり
それをしないことを、まるでダメ人間みたいな言いがかりをつけるなんて、まったくどうかしている。と思う。
ま、そんな場所ってもう、僕の居場所はないし、
自分を削って、自分の価値を棄損しながら、給料もらって我慢料?いやいや、それはない。
そんな精神がおかしくなるような感覚で働くのはどうかしている。