2025年9月13日土曜日

べきマンたちの言い分

 こうあるべき、こうでなければならない

そういう思考が「強い」人の内面はどうなっているんだろう?って
とても不思議、理解不能な僕だけど、彼らからしたら僕こそ理解不能な人間なんだろうと思う。

なんなら、人間はこうあるべき、という視点からみたら
僕は人間ではないのかもしれない。

こういうべきマンとガチで話をすると典型的なことがわかります。

「私はルールを守ている」「だから正しい」

「あなたはルールを守っていない」「だから間違い」

正しいこと=正義

間違っていること=悪

つまり、自分と異なる意見に対して、あなたは悪い、ひどい、サイテー
そういうマインドの方向性、もちろん、濃度に個人差はあるが、方向性がこんな感じ。

すごい!ものごとが善悪でとか正義と悪とかで構成されているんだよね。
ああ、すべてのものごとは繋がっているんだけどなぁ。
境界線はありません。要するに、ルールはあることは大事だけど、解釈は移動することが
できる、視点を変えることで、調整できる、そういう方が生きやすいでしょ?
って思うわけ、
でも、べきマンたちは、それは絶対に許さないのです。


このグラデーションのどこに立つかは、あなた自身の問いと選択によって決まります。


2025年9月8日月曜日

本当にべきマンたちがはびこっている

 こうあるべき、のべきね。

こうでなければならない、もね。

もう、命に係わることならわかるけど、そうでないなら、別にそんなにムキにならなくてもいいだろうに。って思ってしまうんだ。

ルールを決めろ、ルールを決めろ

そのルールがあるのにエラーが起きると、さらにエラーを回避しょうと、複雑なルールが追加される。

もうコントです。ほんと。

ちょっと俯瞰でみれば、自分たちのコントに気付くと思うんだけど、これが中の人は

気が付かないんだよね。ほんとに。

2025年9月7日日曜日

純喫茶・ブライト 本日開店

忘れてんだよね、100均で買ったやつ、

点灯させて、なごむ。

いいわ~

なごむわ~

本当に考え方が違っていた

 いつだったか、社長を交えてとあるメンバーで協議をしていたとき、
いろんな確認事項、背景に基づき意見をしていたのだが、
そこで僕が言った意見について、
「それは無いわ」
社長のみならず、他のメンバーからも同じ意見で

「え?あら?俺なんか違っている?」となり
なるほどー!皆さんはそういう考えだったんですね!そ、そっか、そうですよねぇ、って
必死に食らいつく(笑)
こっけいです。
やばい、この人たち、とってもヤバいと僕は内心思っていたわけですが、
きっとそこにいたメンバーもこいつヤバいと思っていたでしょう。

それは、3月だったかな。今から半年前。

正直、転職なんてそんな簡単に出来るものではないと思っていた(る)ので、

じっくりね、観察です。
市場感の観察
自分のことを観察
自分と市場の空間でなにが起きているのかを観察

ここで役に立ったスキルは、なんといってもデザイン思考なのだ。

マーケティングスキルなのだ。
それと、多くの学生たちを見てきた事実ベースの出来る人と出来ない人の情報、
多くの出会った経営者らの話。
これらは、座学と実践という視点では、とても自分自身の強みに変換できたと思う。
自分がどうなりたいのか?という問いに対して明確にその姿があり、
今の経験、スキルがそれに生かされると思ったわけね。

自分がなりたい姿

若いメンバーを採用して、成長につなげることで、企業が成長し、社会に貢献していくこと、

そのためには、メンバーには自分の頭で考えて自分の足で歩くという自立的な思想が必要で、そのための気づきをオッサン達は彼らに誘導して、かれら自身が問いをたてていくというスタイルを作ることが僕の仕事。

そこには社長の想い、メンバーの想いがあり、
それらを腹を割って理解を促進し、
お互いにリスペクトしていくこと、
そして成長していくこと、お客様が笑顔になれば僕らも笑顔になる。
そういう構造を作り維持することだ。

現状を維持?違う、成長を維持するってことね。

ここが間違えやすい。

そんなこと、今の会社では出来ないのか?という問いが当然出てきますが、

それがなんと出来ないのです。

それを、社長が真っ先に否定してしまう。
否定というより、そういう構造を立体的に理解できないというのが本質です。
それにはちゃんと理由があって、僕がデザイン思考とかマーケティングの仕組みなどを学んでいるからなの。で、社長にも学んで欲しくて、それを何度も説明し、専門家とのディスカッションには、1年間同席してもらったり、いろいろ手をうったのだけれど、
まぁ、身につかなった、腑に落ちなかった、そういう状況で
その点で、社長以下他のメンバーも同様で、実質僕だけが完全に孤立する事態になってしまったというのが今回の顛末。

誰も望んでないんだよ、お前の考えなんて。

そんな風に梯子を外されてしまった。

高給をモチベーションに誤魔化してのらりくらいぶら下がることも出来たと思いますけどね、それってもう、自分の信念とはかけ離れているし、気持ち悪いんですよね、そういうの。

趣味は何ですか?

 おおー

確かに・・・・・

趣味なぁ

何だろう?って思ったのは今年の三月。

なんでそんなことを思ったのか?といえば、それは履歴書に記載するため

面接でのコミュニケーションで使うため、

そこで思ったのは、あ、俺趣味無いわ・・・・って。

思わず、コパイに聞いたけど、やっぱ俺、趣味無いのよね。

何も。

あ、犬に散歩につれていってもらうこと。ってね。

ダラダラとYouTubeを見ていることを趣味っていうのもなぁ。

何だ50代の趣味って。まぁ、本を読むくらいか。もうこの歳になると趣味も無いわ

という俺。

そういえば、山下達郎のCD買ったり、昔子供のころ、自由に買えなかったものを

少しずつ手にいれて聞くってのもいい趣味だと思うんだよね。


一方、バイクに乗ったりクルマや釣りやなんやとそういう趣味の人いると思う。

しかし、それに使えるお金が無いという事実

どう考えても、つじつま合ってないような気がするが結構な費用がかかっている。

そんな高級なものも 着てないしねぇ。付けてないしねぇ。

なんでこんなお金ないんだろう?って

まぁ、趣味って別にお金のかからないものもあるから、そういう目の前のちょっとしたことに気付いていくのもいいよね。


2025年9月6日土曜日

ま、とにかく引継ぎを

 で、実際

何を
誰に、
どのようなカタチで、
どのように?

引き継ぐのか?
という点で、おおかたが情報化されているので、
実は受け取り手はそれほど苦労しないだろう。

例えば、求人関係の外向けの情報のやりとりやチャンネルはすべてリストになっている。
誰でもできる。
会社説明のPP資料もすでにある、
ショートバージョンやバリエーションもファイルになっている。

ね、簡単でしょ。
しかも、後任者を指名して実際のやっている風景もみてもらった。

さて、求人表やHPや配布資料に載せている文章は誰が書いているのか?
PPの資料の中身は誰がストーリを練って書いているのか?
もちろん、僕です。すべて僕。
それ、多分、他の人は、その人のものに全部書き換えないと無理なんだと思う。
プログラミングと一緒で、脳内のストーリが合致してないと第三者に説明や解説や納得感を与えることは難しいだろうきっと。


学生たちに、納得感や決心や自分がそこで働いてもらうイメージをどう思考を動かしていくのか?ってそんなの、引き継いだからって出来るわけない。
僕だって、他の人が作ったPPで自分のストーリを語るのは難しい。
そんなのなんの説得力も無い。
それが会社のことだとして、
じゃ、自分の会社の弱み、強み、機会と脅威を分析して、何度も考察を重ねて
若いメンバーを前にプレゼンを繰り返し、ブラッシュアップしたものだということは
可視化された引継ぎ資料には記載されていないからね。

ま、僕の引継ぎ案件なんて、大したことないですよ、ほら
と社長に見せても、
まぁ、そうだよね、基本的にはこういう感じで、これとこれれだけどねぇ

おしまい

社長はこれ以上僕がサポートしても今後のためにはならない。
ただし、今後必要になる行動プランは提示してやめようと思う。
僕が辞めるということは、その後、どういうことが起きることが予想されるのかが、
社長自身が分かっていない。

でもね、多分、全然大丈夫
うまくいってるという側面が継続していれば、人はその側面だけを見続ける。
僕みたいに、こっちも整えようとか、いざというときのためにこういう仕組みを作ろう
とか、
いままでにないことをやるのやるのはイレギュラーとしてスルーするだろうから。

ただ、社長自身がスルーを推し進めると、それは衰退しかない。
既存のことを原動力にして、新しいことに取り組んでいく、と経営者が決断しなけらばならない。これは企業というカタチ、会社としての社会における役割なのだ。

そう維持、成長することで、雇用が生まれ、安定し、就労が経済活動につながり
労働者が安心して働ける、生活できる基盤を企業は下支えする役割を担っている。
つまり、企業ってのは、企業である時点で社会性の一部をつかさどっており、その役割として
成長をして地域に貢献しなければならないのだ。このとことに経営者は気づいてほしい。
僕の場合は、そのことをこの5年間、いや3年間か、コロナ終わってからずっと
言い続けてきた。いろんな情報を僕自身がインプットして、いろんな経営者と会い、どの経営者も同じようなことを仰っていて、それを社長には言い続けてきたが、
社長からしたら、ああ、またタイ象が言っているだけね、って
暖簾に腕押しとはこのこと、
多くの時間やホワイトボードに書いてレクチャーしたりして。
全部、暖簾だった。

でも副産物があったのね。僕自身の思考の整理、マインドセットができてきたということ
中小企業の共通課題とかね、
そららの知見を使って転職活動を開始したというのが実際の話。

この情報は貴重だぞ、とかこれは大事な情報だと僕が思ったり感銘を受けたものは
すべて社長に伝えることで、どんどん僕の知見が重なってきたというのは何とも皮肉ですが、
そういう意味は僕は社長から学ばせてもらった、ありがとうございます、という感覚もとてももっている。

社長は孤独である。
しかも責任は重大だ。だからそれを僕もわかっているので、社長には言いにくいことも
言うのが僕の役目だと思ってこれまでいろいろ言わせてもらった。
そのお陰で、この歳になっても学びを得ることができたのは感謝しかない。

ただ、感謝や愛(寛容や思いやり)の感情は引き継げないんだよね。
僕が辞めたことをキッカケとして新しいプラス要素に変換してくれればいいのになぁと。

2025年9月4日木曜日

成功しないように、邪魔をしているらしいです。

 今日、とあるメンバーから愚痴というか状況説明をされました。

それによる、信じられないというか、まさか、そこまで?ねえ?ってことが。

それは、プロジェクトに、しょーもないイチャモンやあらさがしして
些細なことを大げさに、あちこちで吹聴したり、糾弾したりしている者がいるのですが、
彼らの思想というのが・・・・

このメンバーが言うには

自分たちはこのプロジェクトがあることで、会社に損失を与えているから即座に中止しろといっている事が唯一の正解であるから、万が一、うまくいっているとか、可能性があるぞ、とかプラスの要素が出てくると、自分たちの主張ややってきた様々なことが違ったということになるので、そうならないために、全力で邪魔しているというのです。
ま、そうとれる発言ややりとりを交えて説明してくれましたが、

僕としては超驚きで、
例えば、自分は、そのプランはダメだと思っても、うまくいったら
スゴイね、ダメだと思ったけど出来るんだね、ナイス!って、
そうか、こういうやり方もあるのかーって
気付くことできてラッキーっていう考えなんだけどね。
もちろん、成功したメンバーやプロジェクトがあれば、自分の意見と異なっていたって賞賛するでしょって。

メンバーによれば、
それは僕が単に鈍感なだけで、一部の者は自分たちが主張したことが間違えだったということが結果的に立証されてしまうと、自分たちが行った様々な糾弾や誹謗中傷が今度は自分たちに向いてしまうのではないか?という恐怖を勝手に設定しているのではないか?と
メンバーは仮説を立てていて、なるほど、それはそうか。

いじめの構図と同じ、自分がターゲットになったら恐ろしいから、今のターゲットを落とし込んで、自分たちが正しいことを自動的に成立させるということに躍起なんだ。

いや、これ、超怖いわ。
そんなクソテレビドラマみたいな考え
こんな構造になっているいい年した大人がいるってことに、驚愕するとともに
ああ、やっぱり俺はここを去ることになって良かったと思う。

ま、利害関係なければ、はっきり言ってクビです。
だって、会社の方針に従わないのだから、そんな奴はクビですよ。クビ。
ただ、利害関係があるからね、中小企業の難しいところが、属人化なのだが、
この業務が高度になればなるほど、属人化され、まるで、俺がいないと会社は回らないだろう?って視点からスタートして、自分の都合のいい自分軸の解釈が始まる。

お客様のため、とか若いメンバーのため、とか会社の5年後のため、とかではなく、自分の利益しか考えなくなり、属人化していることを優位にとるんだ。
何なら、採用なんてしなくていい、とか言ったり、こっちが私がやるので、人員は不要だなんて属人化を強化するような者も出てくる。
そうすると、引継ぎなんてできやしない。
手放していくというマインドが無いのだから、その下についた若いメンバーは不幸だよ。ま、それを繰り返していくことになるんだけどね。


2025年9月3日水曜日

退職まであと一か月

 さて、いよいよ退職まで一か月となった。

何人の人から、急にとか
突然すぎるとか、言ってくれれば、とか
「奇妙」なことを言われる。

そりゃ、初めて発表されるのだから急なのは当たり前。

自分の決めごとに、誰かに相談するというのは、
今回の場合はあり得なかった。
思えば、自分の事って、誰かの影響は受けたとしても
誰かに相談はしてこなかったと思う。

結局決めるのは自分でしょ?


だって、この場に対して
「お呼びでない」こらまった失礼しましたっ!
って思ってしまったし、事実わざわざ人格否定されるようなことに
それを容認したりすることは、僕自身あまりにも気持ち悪すぎたし、
味方もいないし。

僕がこれまで言ってきたことが、なかなか伝わらない
伝わらないばかりか、何言ってんの?って言われたときには
僕自身、はっとさせられた。

あら?俺だけ外れたことを言っているんだ。

みんな正論を言っている。ど正論を言っている。
それを理解したうえで、
こういう視点でこういう解釈をすれば、こういうことも必要だと判断したとかね、
そんな話は全く通じないことが分かった。

ああ、
そうか、およ、およ、お呼びでない・・・・(笑)
植木等みたいに、こらまった しっつれいしやした!と。


ルールってのは、単なる「定規」でしかない、
そこに書かれてるメモリや単位や数え方は、その時の状況によって変えてもいいのだ。

ポイントは、なぜそうしたのか、そうした方が、どれくらいこんな良いことがあったぞ、とかそういう効果を狙っているとか、あったとか
だから、今回はこうしたのだ、という構造が可視化されてさえいればいいのだ。

実に簡単かつ合理的。
定規は固定ではないのだ。
別に命に係わることじゃなし、それを守らないことを咎めたり、そのことを糾弾したり
それをしないことを、まるでダメ人間みたいな言いがかりをつけるなんて、まったくどうかしている。と思う。

ま、そんな場所ってもう、僕の居場所はないし、
ここに留まる価値ってなんなの?って。

自分を削って、自分の価値を棄損しながら、給料もらって我慢料?いやいや、それはない。
そんな精神がおかしくなるような感覚で働くのはどうかしている。

「逃げろー!」

2025年8月29日金曜日

これは逃げか?

 そういう風に言われることがある。
一方、例えば学校で死ぬほど行きたくないとか
で、
それで、
本当に命を絶ってしまうひとがいたり。
そういうのを聞くと、ぼくはこう思うんだ。
だったら、そこまでそう思うんだったら、逃げればよかったのにな。って。

逃げることは別に悪いことではない。
一旦考え直すこともできるし、他のことにめを向けることもできる。

自分の信念を曲げて、曲げて、
一方的に酷いことを言われ、言われ
それは、僕はその場から離れるという選択をすることを学んでいる。

それは、基地外と対峙するときと同じだ。
要するに、こちらの命を削るような状況においては、
その場から離れる、そういう選択を僕はする。

それでいいのだ。
「逃げるのか!!」
と言われても関係ないのだ。
僕はこの場から去るのみ。次の場では、今回の経験を使って再度チャレンジすればいい。

ここにチーズはもうないんだ。
さて、チーズを探しに行こう。ただそれだけだ。

昨日と同じことを今日もやる。
やれることをやるだけだ、なんてことを経営者が言っているようでは
その組織は成長しない。やれることをやるのは当たり前なんだよ。
やれないことを、いままでよりも難しい仕事をどうやってとってきて
どうやってチャレンジするのか?

え?まだそこにいんの?
僕は次のステージに進みますけど。


2025年8月23日土曜日

あれ?おかしいのは俺か?

 あれー?話が通じないなぁ

あれー?俺だけ違うこと言っている!?

あれー?みんなしょーもないところに引っかかってる!!

ここでふと思うわけです。
この組織において、「俺が ガンなんじゃないか!」
そうか、俺がおかしかったんだ。


・違うビジネスモデルを考えよう。
・災い転じて、新しい構造を作ろうとか
・営業支援を積極的にやろうとか

今までにやったことをないことをやろうとするのは確かにハードルあるけどさ、
やってみりゃいいじゃん?ってねぇ。
ところが、どうやらそんなこと、みんな理解してくれていると思ったら
俺しか言ってなかった(笑)

ルールを守ってないことが問題だ?
そのルールを守ることで、誰かが得をするのか、何かが進展するのか、
効果や価値があるならいいけど、単なるルール、目印みたいなものを
守ることに僕は何の価値感じないし、それを守ることは最低順位でいいとさえ思っている。すべてのことを完結するのが目的ではないんだな。
進めたいもの、ことが最大効果を出しながら進んでいるのかどうか、
そのために、どんな行動ができるのか?それだよ、それ。

ルールは一定の秩序を維持するための寄りどころではあるが、
実務上はそこにいるメンバーで、最適化を図ってもいいという解釈。それが
多くの人は持ち合わせていないんだな。

さて、社長に辞任を伝えたら

 意外とびっくりしてなかった。

が、あとですごくびっくりしたらしいことを人づてに聞く。


僕の立場とこれまでの歩み

これまで何度も「ライフ」※(ゲームの「ライフ」のことね)を賭けて進言したり、精神を削るような出来事に向き合ってきたつもりでした。けれど、相手は特に気にしてもいないし、覚えてもいないようでした。 まぁ、立場が違えば仕方ないことではありますが、提案や説明を重ねても理解されず、はしごを外されたり、背後から刺されたような経験もありました。


驚いたのは、これはもう少し前のことですが、ある人から、
「あなたは、社長に弱みでも握られているのか?」と言われたことがありました。
え?ほんとにそう思う?違うよ、サポートするのが私の役目、役割ですからね。
でもそう言われたのは、そう見える、ということであり、それはそれで問題なのだなぁと
今となっては思います。


感度が高ければ、この半年の僕の言動は「仕事を手放すための手順」だったと気づけたはずです。 とはいえ、わざわざ匂わせることもせず、僕自身は仕事に対してモチベーションを保っていました。お客様がいれば、当然全力で向き合います。だから、僕が退職を考えているなんて、誰も思わないでしょう。

僕は「どうせ辞めるんだから」といった投げやりな考え方ができない性質です。 目の前のお客様との関係性を大切にし、満足や利益を最大化することで僕らの価値が上がる。そういうマインドが根底にあるからこそ、会社を辞めるかどうかに関係なく、ライフが減ろうが無かろうが、やるべきことはやる。それが僕のスタンスです。


理解できない「感覚」

でも中には、「どうせダメだから」「テキトーにやっても変わらない」と言う人もいます。彼と話すと、本当に理解できないことばかりで、正直疲れます。 本心は違うのかもしれませんが、そういう言葉や態度を表に出してしまう「感覚」が僕には理解できない。 世の中は、そういう人の言動を飲み込んだり中和したりしながら動いているのかもしれません。ネットの世界でも、一部のしょーもないコメントがフューチャーされて、それが全体のように見えてしまうことがあります。そういう人は、全体の1割くらいでしょうか。

彼らは会社や個人、組織に文句を言うけれど、自分では何もやらない。 「それを決めるのは私ではない」と評論家気取りで、上から目線。安全な位置に身を置いて、批判や糾弾を繰り返すだけ。何も生まれないのに。まるでマスコミのようです。

意見を言うときも、「私はこう思う」ではなく、「みんなそう」「普通はこう」「こうあるべき」と言う。自分の背景を含めた考えを表明することはありません。

昔は、そういう人を軽蔑していました。関わりたくもなかった。 でも仕事だから関わることもある。だから「しょーもないやつだなぁ」と思っていました。 今は、そういう感情を通り越して「気の毒な人だな」と思います。 そういう考え方で生きていくことを本人が選んでいるのだから、僕がとやかく言うことではありません。 それが気持ちいいんでしょう。脳の報酬系が成立しているのだから、脳内物質の使い方としてはもったいないなぁと感じます。


人間性と組織の限界

業務の手順やテクニックは、時間をかければ実装できます。 でも、気質やキャラ、育った環境、人間性に起因する要素は、会社に入ってもほとんど変わりません。 他者から変えようとすることの無駄さといったら…(笑)

だからこそ、面接では価値観の一致が重要です。 でも、それを2回の面接で見抜くのは至難の業。だから余力のある企業はインターンシップを導入しているんです。


社長との関係と気づき

僕は、社長の考えを変えようとは思っていませんでした。 むしろ「社長の考えはこういうことですよね?」「ビジョンにも合致していますよね?」というストーリーを描いてきました。 でも、気づけばそれを言っているのは僕だけでした。

社長の意地悪な感情が見え隠れし、それに呼応するように意地悪な態度をとるメンバーたち。 社長を守っていたはずなのに、いつの間にか僕が悪者になっていました。 変えようとしているのは僕だけで、僕が言うからやらせているだけ。 社長自身は「変える必要はない」と思っている。 そんなふうに社長のことを、みんなが思っていることに気づきました。 つまり、社長の本気度が見抜かれていたんです。


自立と限界

「とはいえ、自分たちで何とかやっていきましょう。社長は安心して見ていてください」 そんな自立した考えを、メンバー全員に浸透させることはできませんでした。 若いメンバー(僕が直接上司だった子たち)はそういう考えを持っていましたが、 それ以外のメンバーは、上の人が決めたことをただ遂行するだけ。まるで奴隷のような体質が染み込んでいました。

だから、社長にはアップデートが必要だと、数年間ずっと言い続けてきました。 でも、通じない。本当に通じない。事業についても、ずいぶん説明しました。

それでも通じなかったということは、もしかしたら僕がおかしかったのかもしれません。






べきマンたちの言い分

 こうあるべき、こうでなければならない そういう思考が「強い」人の内面はどうなっているんだろう?って とても不思議、理解不能な僕だけど、彼らからしたら僕こそ理解不能な人間なんだろうと思う。 なんなら、人間はこうあるべき、という視点からみたら 僕は人間ではないのかもしれない。 こう...