2022年7月2日土曜日

デザイン思考

今さらデザイン思考

そう、今さら。
というか、わざわざとお避けていた節もあったわけだが、
「デザイン」と云う言葉は、実は論理的だったり、科学的だったりするわけで、
そういう側面があるのに、素通りしていたんだよね。
今回、強制的にというか、自らというか、そういう思考にチャレンジすることになった。

物事を特定のロジックをもとに考察する。
その際、最も難しいのは自分の感情、経験、諸々の配分をどのようにコントロールするのか、ということ。
これが難しい。

今さらデザイン思考

この歳になっても気づかされることばかり。


ビデオレンタル、
DVDレンタルが活況だった時代、
そのユーザにどうなれば便利ですか?って聞いたら、
自分のアパートの下がツタヤだったら、とか、
DVDの返却が簡単だったら、とか、そういう視点しか無かった訳だ。
事実、ツタヤは返却ボックスでそれを対応しようとした。
そして、深夜まで営業していたり。

で、どうなったか、通信環境と映像がデジタル化されたことと、機材の対応により
今は、ネットで配信されている。しかも、サブスクリプションだと。

ユーザの意見は、今を知ることはできるが、
未来を推察することはできない。それには別の考察が必要な訳。

こういう事象を分析する論理がすでにあって、それらを含めてそのプロセスをデザインする。
これをデザイン思考と呼ぶわけね。
実に面白い。
これ、学校でこういう授業やったら、めっちゃハマるなぁと思う。
マーケティングなどもそういう手法を使っている訳で、そりゃ、仕掛けがある訳です。

最大効果を狙う、損失を最小にする、成長を最大にする
こういうことをやろうとすると、
そんなことやっても無駄だとか、意味ないとか、そういうマイナス思考の発言をする奴は、正直言って、面倒な訳。
失敗した時に、ほれ見たことか、とか、結果を批判する。
どうせできる訳ない、で、出来なかった者を批判する。
どうやったら出来るのかを考えよう、という発想にならない。

嫌なら辞めろ。という本が昔あったと思うが、その本を渡したいね。
文句ではなく、意見やプラン、論理を言えと。
感情に生きているやつとは、できるだけ関わりたくないものだ。

同じ場所に留まって生きるという道もあるだろう。
でも、僕は、大変でも新しい領域にせめてつま先だけでも動かして
数センチでも動き出そうよ、未来のために、後輩のために。

決められない大人たち

 いっちょまえの顔をして、やっているような素振りをして

実は、自分では何も決められない人、

誰かのせいにして、自分を除外する人

政府のせい、社会のせい、世の中のせい、会社のせい、上司のせい、部下のせい

そこに自分はいない。


自己開示をしないで、他者の批判ばかりをする。

しかも、転んだ相手に向かって「転んでやんの」とか

「転ぶなんて馬鹿だ」とか

「転んでいいと思っているのか」とか

転んだ結果(変えられない結果)について、相手を非難するという卑怯なやり口。

こういう輩は、正直言ってクソだと思う。


いろんな輩がいるというのは理解している。

できるだけ、そういう輩にエネルギを吸い取られないように気をつけよう。

2022年6月7日火曜日

さぁ、投資しよう!

 政府が、投資を!と言っている。
もう、前にもあったけどさ、また言ってるよ。
年金の払い出しを遅らせることや、自分で積み立てて、利益を出せと言ったり。
どんどん攻めて投資しないと、老後に必要な資金は貯まりませんよ、と
煽る
煽る
この煽りにみんな違和感を感じているから、
個人積み立て年金の投資において、
攻めの投資をしている人たちは、せいぜい1割だ。(私のしっているグループ)

経済の原理で言えば、誰かが儲かれば、誰かが損をするという原理で、
どんどん攻めて儲けろっていう感覚は、我々日本人にはどうにも馴染めないんだと思う。
そして、馴染めないという感覚を、この経済システムを構築した馬鹿人には理解できないのだと思う。
だから、非課税にするとか、餌をあげるわけね。
もちろん、
それは自由だ。
好きにすればいい。
でも、そういうものをやりながら、サステナブルとか、SDGsとか、
しょーもなことを言っている人がいたら、正直言って
「うわー、この人とは、話は 交じわう点はないなぁ_____」と。
持続可能な、とかそれの行き着く先は、共産主義だ。
投資(商品)を牛耳っている、設定している勢力は、どこなのか?
投資者が得しようと損しようと関係なく、得する勢力があるということ
そもそも、詐取システムに組み込まれているということをどう考えるのか。
新資本主義と共産主義(人類皆兄弟というやつのもあったな)という設定自体が、
怪しい話で、誰が、そんな二元論のどんぶりテーマを当てはめられたことで、
私たちは、盲目になっている。

多くの市井に暮らす者は、目の前のことにしか、解像度は高くないので、
やむをえないが、少しずつ視点をずらしていくと、しょーもな、ってことが
あちこちで起きていて、まぁ、茶番劇が今日も起きているわけで、
そういう視点を持つと、
政府が、「投資しよう!」っていうセリフは、気持ち悪いの一言だ。

おそらく、成功事例をどんどん紹介するはずだ。
そして、実際に、投資に成功する商品群が注目される提灯番組やCMや記事が登場する。
そして、大半が、儲かる。
そう、あの時と同じだ。バブル崩壊前夜。
もう、みんな忘れたんだろうな。
どんどん、お金のある人は投資しよう!
ある日、ドーンと暴落する。資産価値は、消失する。

そもそも、増えたと思ったものは、誰かの損失を増大させたものだろう。
自分が茶番の片棒を担いているなんて、正直笑えないでしょ。

2022年6月5日日曜日

世の中には、あんぽんたんも、一定数存在するのだ。

 
男なんだから頑張れ

社会人なんだから頑張れ

管理職なんだから頑張れ

社長なんだから頑張れ

政治家なんだから頑張れ

まぁ、これらの表現は、僕自身は「あり」だと思う。
なぜかというと、その立場、役割において、どうしてもやらなければならない事があるはずで、それは、身体的特徴かもしれないし、経験や立場による違いかもしれないけど
その状況において、頑張れっていうのはありだ。

でもですね、相手の気持ちを考える事が出来ない人や、自分に置き換えたり、自分の頭で考える事が出来ない人は、
概ねこう言うのだ。

○○のくせに、何やってるんだ!?

○○のくせにそれでいいと思っているのか?

こういうしょーもない問いかけをする人がいる。
はっきり言おう、こういう人は 
あんぽんたんというのだ。あんぽんたん(笑)

にも書いたが、
○○で良いと思っているのか?という問いかけは、
実は、yesと言ってもnoと言っても、ドツボにハマるように構成されているのだ。

これを二重拘束、ダブルバインドという。

相手に、怒りをぶつけるのが上手はあんぽんたんは、
だいたいこういうロジックを使う。

引っかかってはいけない。
相手にしてはいけない。
こういう輩についつい、引っかかり、ざわつきますが、
放っておくしかありません。

本人が、自分自身がドツボにハマっていることを理解し、
脱出してくれるしかないのです。
本人が変わるしかないのです。

他者が変えようなんていう試みは、気持ち悪いと思いますわ。


やってみるのも良いのではないか?

やったことない
未経験な事にチャレンジするのは
なかなか大変だと理解している。

もちろん、
チャレンジしないという選択肢もある

この先に、
チャレンジすることで見えて来る世界があるのも事実。

チャレンジしている人を
チャレンジしない奴らが非難する。

非難するやつは、
大概は大きな主語を使い、
自分を議論から、除外する。
自分だけを安全圏に避難させ、  
ときには、人格攻撃したり。

そういう奴は、一言で言えば
無責任の塊。
そして何でもよこせ、の
クレクレタコラ


目の前に、自転車がある。

自転車で、転んだらどうすんだ?
痛かったらどうすんだ?  
事故ったら、どうするんだ?
傷ついたら、血でたら、
自転車乗る事に何の意味があるんだ?
自転車にお金をかけて、時間を割いて、
失敗したらどう責任取るんだ?と。

は?

じゃ、自転車には、乗らないで、
歩いて行って、野垂れ死にするの?
 
いや、「歩く」ならまだいい方だ、
それなら、自転車と歩くを比較して、
リスク回避になるもんな。
しかし、
否定者は、そこに留まろうとする。
そして、動こうとする人たちを非難する。
非難はすれど案は無し。  

このままでいい、今までそれで良かったのだから、
わざわざ大変なことをやらなくてもいいではないか?と

あれ?これ、
正常性バイアスと同じ構図だな。
そして、チーズはどこへいった?と同じ構図じゃん?


人生は、経験だ。
と思う。

身体で体験する
脳で思考する
その二つを組み合わせて行動する

失敗さえも貴重な経験だ。

そういう事を素直に応援したり、実践したり
助け合ったりするのって、人として、当たり前だと思っていたが、
そうでない人が、いるという事に唖然とする。

まあ、それも僕の経験か^_^

しかも、それって会社あるある事項ですよ、
と、
諸先輩から言われて、
なーんだ、普通の事か、

妙に落ち着く。

良かった・・・・・(笑)

確かにね
全員と共感してたら、
それはそれで、気持ち悪いかもしれません。

チャレンジ中の人や、失敗経験のある人は、
それをやろうとしている人や、失敗した人に向かって
絶対に避難したり、馬鹿にしたりはしない。

経験者から、大丈夫だ、頑張れって言われら、勇気が湧いてくるものだね。