2022年6月5日日曜日

やってみるのも良いのではないか?

やったことない
未経験な事にチャレンジするのは
なかなか大変だと理解している。

もちろん、
チャレンジしないという選択肢もある

この先に、
チャレンジすることで見えて来る世界があるのも事実。

チャレンジしている人を
チャレンジしない奴らが非難する。

非難するやつは、
大概は大きな主語を使い、
自分を議論から、除外する。
自分だけを安全圏に避難させ、  
ときには、人格攻撃したり。

そういう奴は、一言で言えば
無責任の塊。
そして何でもよこせ、の
クレクレタコラ


目の前に、自転車がある。

自転車で、転んだらどうすんだ?
痛かったらどうすんだ?  
事故ったら、どうするんだ?
傷ついたら、血でたら、
自転車乗る事に何の意味があるんだ?
自転車にお金をかけて、時間を割いて、
失敗したらどう責任取るんだ?と。

は?

じゃ、自転車には、乗らないで、
歩いて行って、野垂れ死にするの?
 
いや、「歩く」ならまだいい方だ、
それなら、自転車と歩くを比較して、
リスク回避になるもんな。
しかし、
否定者は、そこに留まろうとする。
そして、動こうとする人たちを非難する。
非難はすれど案は無し。  

このままでいい、今までそれで良かったのだから、
わざわざ大変なことをやらなくてもいいではないか?と

あれ?これ、
正常性バイアスと同じ構図だな。
そして、チーズはどこへいった?と同じ構図じゃん?


人生は、経験だ。
と思う。

身体で体験する
脳で思考する
その二つを組み合わせて行動する

失敗さえも貴重な経験だ。

そういう事を素直に応援したり、実践したり
助け合ったりするのって、人として、当たり前だと思っていたが、
そうでない人が、いるという事に唖然とする。

まあ、それも僕の経験か^_^

しかも、それって会社あるある事項ですよ、
と、
諸先輩から言われて、
なーんだ、普通の事か、

妙に落ち着く。

良かった・・・・・(笑)

確かにね
全員と共感してたら、
それはそれで、気持ち悪いかもしれません。

チャレンジ中の人や、失敗経験のある人は、
それをやろうとしている人や、失敗した人に向かって
絶対に避難したり、馬鹿にしたりはしない。

経験者から、大丈夫だ、頑張れって言われら、勇気が湧いてくるものだね。

2022年5月17日火曜日

世の中、いろんな人がいるという事実を。

世の中は
○○でなければならない病の人 多い。
そして悪い人、悪人ね、
で、こちらが思っている常識の根底が全く異なる人
良心の無い人、そういう人が一定数混じっていいるという事を脳みそがお花畑の人は
認めないんだな。

まぁ、そういうお花畑の人も混じっているのが世の中そのものなんだけど。

ドローン的な視点から見えれば一目瞭然だし、
あるいは、時にはマクロレンズで接近観察とかさ、思考の視点は何ら制限される事は無いのだよ。
制限をしているのは自分自身の概念なのに、あたかも他者のせいにしてしまう人
そういうのも俺からしたら、お花畑の人なんだな。
いや、お花畑ではなくて、枯れ草の荒野って感じで、何もない。

放っておけばいいのだろうが、そういう人は大概は俺のようなちゃらんぽらんな人格
何とか矯正してやろうとか、単に、非難したりする。
べき論を巨大な主語で振りかざす「ベキラー」だ。
こういう人は、本当にあんぽんたんだと思う。

まぁ、一時、僕も、こういう荒野の人に対して、外部から刺激を与えれば変わるかもって思っていた時期がありますが、近年は、人の気持ちは変えられないということをすっかり理解したので、あまり相手にしません。
この人は、どういう人になりたいのだろう?
どういう大人であろうとするのか?
まぁ、どうでもいいですね。まずは私が、俺が、僕が、どうしたいのか?
ということを明確に意識していくしかないでしょう。それが答えです。

だから言ったじゃんと言ってはいけない

マスクは意味はないのだよ。
だから言ったじゃん。エアロゾル感染。

いや、意味があるとかないとかどうでもいいのです。
信じるものがして、信じない者はしない。

自由だ。

それだけのこと。

明らかに体調不良で、ゲホゲホしている人はマスクした方が
風速の減衰、バッファーの役割はするが、マスクでどうのこうの
議論すること自体無意味。
というのが、事実。

先日のニュースで、日本医師会のお偉いさん、ゼロコロナを標榜しているようだが、
この方は、中共ですかね?何なんだろう?
そして、白痴なのでしょうか。マスクが本当に感染防止するなら、その人がマスクをつけていれば、感染拡大しないわけだ。しかし、マスクをしていても感染は拡大している。伝搬している。
会社で、マスクを外すことはないし、顔を接近して、話すこともない。
換気は、CO2濃度は、500台だ。パテイションもある。
とにかく、私は意味は無いと思ってはいるが、意味があるという人たちの意見を容認し、それらを実行しているわけであるが、
その結果どうなったのか?

感染はあったのだ。はて?

ワクチンの有無も関係無い。
思わず、だから言ったじゃん!と言いたい衝動にかられるわけだが、
それは言ってはならない。
それを言った途端に、話は終わってしまう。

もっと考察しないとね。僕たちは大人だからね。

で、それが失敗なのか、何が起きたのか、どこでどうなったのか、
ナイスな経験をした、素晴らしいプロセスを経験できた、
さて、どうする、これから?っていう
祝福の構図に持ち込もうではないか。と。

つまり、感情に埋もれていては先には進めない。
そのことに気づく必要があるのだが、いつまでもそこに留まって
攻撃したり感情をぶつける相手を探している奴がいるわけだが、
そういう奴は放っておいた方が良い。
はっきり言って、そいつを変えることはできない。
そいつ自身が変わる素質がなければ無理だろう。
要するに、○○は死んでも治らないというのは事実だ。
自分から変わろう、成長しようという気づきがあった時点で、
その人は○○ではないわけで、多分、見えている世界も異なるはず。

2022年3月17日木曜日

「そろそろ5類引下げ議論をしてもよいのではないか?」

これまで何度もその機会があったが、その都度情報が錯そうしていた

情勢を眺めると、単純な右か左か上か下かの議論ができる構造ではなく、例えるならば、ルービックキューブのような構造になっている

するに、ものごとは立体であり、その一面もいろいろあり、まさに色々だ。

 

仮に、ある一面を同色で揃えても、他者と比較した際、右隣りはどっち?何色?と、双方で逆転現象を起こしていたり、或いは一面のある点について論じていたら、その点は、双方において、中心だったり端の角だったりと、異なる点を注視していたり

各人の情報のキューブを手に、同じ話を進めることは、実は大変に難しいというのは、そろそろ肌感覚として、我々市井の者も感じ得ていると思う。

 

新型コロナについては、徐々に分かってきたこともあれば、未だに分からないこともある。

ただ、科学という一面においては、一定の情報が集まっており、多論・異論を論じることは出来るのではないだろうか。何しろ、今までも一辺倒・一色の議論しかなかったのだから。

 

ここで、5類にすることで、どんな不具合があるのか、どんな利点があるのか?

情報のキューブを私たち自身が整理し、得られる効果や損失持続性や事象への俯瞰的視点をもって、議論を開始する準備は整っているのではないだろうか。

そもそも、そんなことは、我々市井のものには関係ない、専門家が考えればいいなどと、判断を丸投げしてきた結果が今なのだから、もうそれは出来ない。

 

誤解を恐れずに言うならば、専門家はその筋の専門家ではあるが、他分野では素人である。であるからこそ、各分野の専門家の知見を集めて、これらを総合知として情報のキューブを構築していく必要があり、そのための世論と政治力が必要なのだと思う。

我々はこの二年について、どう落とし前を付けるのか、子供らに何と言い訳をするのだろうか?大人として責任を放棄せず、良心と矜持を発揮するべきではないだろうか?

 

今こそ、5類への見直しという見ないようにしていた視点を論じる必要があるだろう。

地震発生時の謎のフラッシュ現象

福島市内
仙台空港
郡山市内
のそれぞれの映像で、
フラッシュ現象が確認できた。

誰か研究者、解説して欲しい