2021年7月25日日曜日

自由にやらなければならないという不自由感

先日、とある講義を受けた際、講師の先生が面白いことをおっしゃっておりました。

先生は、就活中の大学生ら、あるいは高校生などとも会って話をする機会が多いそうですが、彼らは非常に不安感を抱えていると。
それは、どういうことか?と。

我々世代が受けていた教育とか思想とかテレビやマスコミも含めて、
ある一定の「こうあるべき」とか「こういうのが普通」とかお手本とか
拠り所となる基準のようなものが社会にはあって、
その基準に対して、自分はどうだ、こうだ、ああだと
自分なりに方向性を決めていたのだが、
今は、自由だ、自分の好きなこと、自分色を出して、とか
個性を大事にとか 世界に一つだけの花とか
とにかく自分という個人を中心に世界を描こうとする故に、
非常に不安定、不安感があるのだというのだ。

なるほど、それは、確かにそうだろう。

自由にやれ、と言われて
自由にドラムを叩けるやつ
自由に好きな絵を描けるやつ
自由に世界を旅するやつ
自由にビジネスを始めるやつ
そういう個を確立する者は稀だろう。そういう天才肌の者を基準に
自由にやれっていうのは、大人の無責任な押し付けにすぎないではないか。

しかし、今の世の中は、そういうのが正しいということになっている。
よって、学生たちは、不安感が半端ないということらしいのだ。

空気を読んだり、価値観のせめぎ合いをするくらいなら、
いっそのこと、ルールをガシッと決めてくれということらしい。

うーん、面倒くさい・・・・・・。
そういう教育や社会的背景で育ってきたので、しょうがないんですね。
ある意味、気の毒な時代だと思います。

義務は義務でも強制ではないそうです。

 なにぃ!? 努力義務だと!?

つまり、義務ってこと?

ほな、お注射せなあかんやないか〜い!

で、


厚労省の新コロQ&A

Q:今回のワクチン接種の「努力義務」とは何ですか。

A:「接種を受けるよう努めなければならない」という予防接種法の規定のことで、義務とは異なります。感染症の緊急のまん延予防の観点から、皆様に接種にご協力をいただきたいという趣旨から、このような規定があります。

今回の予防接種は感染症の緊急のまん延予防の観点から実施するものであり、国民の皆様にも接種にご協力をいただきたいという趣旨で、「接種を受けるよう努めなければならない」という、予防接種法第9条の規定が適用されています。この規定のことは、いわゆる「努力義務」と呼ばれていますが、義務とは異なります。接種は強制ではなく、最終的には、あくまでも、ご本人が納得した上で接種をご判断いただくことになります。

予防接種法に基づいて行われる定期接種の多くのもの(4種混合、麻しん、風しんの予防接種など)にも、同じ規定が適用されています。新型コロナウイルス感染症に係る予防接種については、「予防接種法及び検疫法の一部を改正する法律」(令和2年12月9日施行)により、同法の規定を適用することとなりました。

※「予防接種法及び検疫法の一部を改正する法律」(令和2年12月9日施行)の条文はこちらに掲載しています。


どエライ分かりにくいなぁ、もう。
義務と言ったら義務なのか?と思ったら、そうではなくて
ご本人が納得した上で、接種をご判断いただくという実に腰が引けた表現。
ならば、努力義務などという表現は避けるべきだろう。

こちとら
納税の義務があるから、納税しているのだぞ。


お注射打ち込みするのが国民の「義務」だと言っている方は、
よく上の文を読んでほしいものです。

2021年7月24日土曜日

こうも暑い日が続くと

 何となく、こう

暑い日が続くと、なんか、暑い日に汗かきながら、旅をした記憶が蘇るわけです。

なんてったって、もう、あのような旅は出来ないのだろうと

ぼんやり想像してしまうわけですから。

こんなこと、不条理だ、理不尽だ、と思っても、あるいは叫んでも

ルールを決めている人たちは、そういう価値観とは違う領域にいるわけですから、

全く話は通じませんし、

テレビなどにおいては、もはや、洗脳装置じゃないか?と思うくらい

奇妙な発言をする人が多くて、観るのは勘弁です。

さて、洗濯ものもよく乾きますね、良いことです。



今はどうなっているのだろう?夜市は?

 旅に出たくなるというのは、現実からの逃避だという説があります。
私も、その通りだなぁと思います。
こんなクソな現実からは逃避したい・・・・・というのは
あながち、嘘ではありません。
かといって、そうもいかないですしねぇ。それもまた、多くの人が
思っていることかと。


あの雑多な夜市は今はどうなっているのだろう?


ブルーインパルス

少し前の入間基地での航空ショーの画像です。